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こいつを?
アスカには返す言葉がなかった。ヌシは廊下で聞いた死者の声のことを話している。その声を男に聞かせないよう、アスカが自分の意思で抑え込んだというのだ。それにどう答えればいいのかがわからなかった。
彷徨う魂が浄化を求めて『霊媒』に助けを求めたと、アスカは思っていた。声音に漂う儚さに触れて、浄化の能力を持たない自分を不甲斐なくも思ったものだ。死者の声というだけで無意識に遮断したことにも、心ならず落ち込んだ。それもヌシによるとアスカが意識的にしたことになる。
〝だ……め〟
細く柔らかなその声は、不意にアスカの耳に響いて来た。人間とヴァンパイアでは時間の流れが異なる。男に本気なったところで虚しいだけと、改めて気付いたアスカに寄り添うように、声はこうも言った。
〝たすけ……おねが……い〟
誰を助けて欲しいのかは、今なら理解出来る。
「俺が?こいつを?」
アスカは怯えるように言った。男が振り向いた。無表情ではなかった。
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