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花押?

 たまたまそこに存在した不運が男を激怒させた元凶だった。男も頭の片隅で理解していたからこそ、怒りに任せて愛してやまないクソ車を潰してしまった。無意識でしたというのは間違いない。男に喉元を掴まれ、弾みで一捻りされるのを恐れたアスカにはわかる。 「ああ、クソだな」  皮肉な思いで追い打ちを掛けてやると、男にぎろりと睨まれた。ただの八つ当たりだ。幾ら腹を立てようが、どうしようもない。男が〝クソっ〟と毒づいたことで答えは出ている。それがアスカには笑えた。 「愚図ってねぇで」  アスカは腕組みを解き、自由になった手でタブレットを指して続けた。 「さっさとサインしてやれよ」  アスカのからかいに腹を立てたとしても、男は憮然としてタブレットを手に取り、サインをした。そのサインにアスカは惹き付けられた。〝キイ〟と書かれてあるようだが、アスカには読めない。複雑な図案の洒落た絵文字のようなサインが〝花押〟というのはあとで知った。

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