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先に帰る?
「な……めて……てっ」
アスカには何もかもが面白くなかった。それで思いをはっきりと声に出した。ただ〝なめてんじゃねぇぞ〟と言うつもりが、焦って舌を噛んでしまった。アソコの干渉なしに欲情する権利を求めてのことだが、よくよく聞いたのなら、男に〝なめて〟と言ったようなものだ。アソコが他人事のように静かなのは幸いでも、余りの無様さに心にまで痛みが走る。
「っ……てぇ」
アスカは胸を押さえ、慰めるようにしゃがんだ。それを男が笑った。ヴァンパイアであるのを忘れたかのように、感情豊かに大笑いをしてみせたのだ。これと似た笑いを占いの小部屋でもしていたが、あの時以上に豪快で人間味を溢れさせての大爆笑だった。
男はひとしきり笑ったあと、棺に背を向けて歩き出していた。アスカがはっとして立ち上がった時には、ブラックスーツの麗しい姿も巨樹の天辺にある。急いで追った次の瞬間には、その姿も声だけを残して消えていた。
「先に帰る」
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