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アスカに渡した?

「うん?」  玄関に出て、アスカは鼻孔をくすぐる美味しい匂いに気付かされた。夕食時にはまだ早い澄んだ秋空をちらりと見上げても、思いは素直に口に出る。 「腹、減ったな」  匂いの先には、あの高校生アルバイト風の山男がいた。籐編みの手さげかごを片手に、少女趣味の極みのような可愛らしいポーチを気にしつつ、前庭の短い石畳を行きつ戻りつしていたのだ。それもアスカの姿を目にした途端、ぴたりと立ち止まって恐縮するように俯いていた。  カフェの個室では、アスカの促しで向けられた男の視線に戦慄し、仕事も放ってそそくさと走るように部屋を出ている。男の苛立ちが美しい目鼻立ちを通して憤怒を描き、そこに表された不審に恐怖をいだき、脱兎の如くに逃げ出したのだ。その余韻があるのかもしれない。アルバイト風の山男はおずおずと前進し、泣かんばかりにこう言った。 「あの、これ、お詫びに……」  そして震える手で籐編みの手さげかごをアスカに渡した。

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