586 / 814

子供のうちは?

〝ですが……〟  つらくはなかったと、少女は笑った。 〝あのものが……〟  狼がいたからと、懐かしむように続けた。 〝狼?〟 〝言葉が話せる巨大な狼でありまする〟  少年を驚かせたのを嬉しむように、暗闇に少女の可愛らしい笑い声が小さく響く。そのまま細く柔らかな声音を楽しげにして思い出を語る。  それは幼い日のことだった。ある夜、ふと目覚めた少女は、片隅にうずくまる巨大な影に気付いた。叫んだところで誰も来てくれない。恐ろしくあったが、粛然として影を見遣った。すると影がむくりと揺れて、微かな鳴き声と共にすり寄って来た。影は命ある狼へと姿を変えていた。 〝迷い込んだの?〟  思わず問い掛けた少女に、狼は頭を振り、慰めに来たと言葉にして優しく答えた。 〝その日より毎夜現れ……〟  人目を忍んで生きる異形の者達のことを面白おかしく話して行った。少女は狼の話に夢中になった。会わせて欲しいと願いもしたが、子供のうちは無理と断られていた。

ともだちにシェアしよう!