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第6話

竣平(しゅんぺい)たち一家はしばらく前に、小さな山の中腹に開かれたこの新興住宅地に越してきた。 山を下った所には古くから人が住む集落があって、そこに父の実家がある。実家はその町では唯一の診療所なのだが、医師として働いていた俊平の祖父が年をとってきて、一人ですべて診るのはきつくなってしまった。 しかし診療所が閉まってしまうと、町の人々は離れた市の病院まで通わねばならなくなる――そこで、大学病院勤めだった父が帰って診療所を手伝うことになった。そうして、町を見下ろす場所にある住宅地にちょうど売り出されていた家を買ったのだった。 竣平は町にある公立高校へ通うことになった。開発された宅地に人が入りだした所だったので、竣平と同時期に転入してきた学生も多かった。 保守的な土地柄で新しいものはなかなか受け入れられないようで、土地の者は土地の者、新参者は新参者、と生徒たちはなんとなくグループが分かれていた。だが竣平は診療所の老医師の孫だということと、人懐こい性格のおかげで土地の連中にも受け入れられ、新入りの学生と地元の学生の両方に友人ができた。妹の冬実(ふゆみ)は中学生だが、同じようにまあうまくやっているらしい。 だが暫くして竣平は妙な事に気がついた。土地の学生達は、なぜか竣平たちが住む新興住宅地に来るのを避けているようなのだ。 同じ宅地内に住む友人同士で行き来することはちょくちょくあったが、土地っ子たちは俊平が家に来るよう誘ってもなんのかんのと理由をつけて断ってくる。とはいえ、竣平が彼らに招かれることは普通にあったので、嫌われているとかではなく……どうもこの住宅地そのものに出入りしたくないような素振りなのだ――なぜなんだろう? 疑問に思った竣平は、機会があったら誰かに理由を尋ねてみよう、と考えていた。 ある日の夕飯時――父はまだ帰宅していなかった――冬実が、変質者が近隣に出没しているようだから気をつけるようにと学校で言われた、と話した。 「友だちに聞いたけど、行方不明になってる子、隣の学区なんだって。お母さんニュース見た?」 「え、あれ隣の学区なの?」 県内で女子中学生が行方不明になり、不審な人物が目撃されたというニュースは見たが、まだ周辺の地理がよくわかっていないからそんな近くとは気づかなかった、と母は不安そうに答えた。 「いやだわ……冬実、あんた帰り遅くならないようにしなさいよ?」 「うん。お兄ちゃんも気をつけなね」 「なんで?俺男だから平気だよ」 「それが、男の子もへんな人に後つけられたりしたんだって」 「いやだ。男の子も?」 「うん。女の子が行方不明になるちょっと前だったって」 「まあ……この辺、繁華街から遠いし安全だと思ってたのに……」 母は眉を顰めた。 「二人とも、町にいて遅くなったら車で迎えに行くから連絡しなさいね?一人で帰ってこないでよ?」 「はあい」 「はいはい」 竣平は、関係ないさ、と思いながら呑気に返事した。 その後竣平が風呂から出て来た時、玄関の方から母の悲鳴が聞こえた。何事かとびっくりしてそちらへ向かうと、そこには帰宅した父が立っていたのだが――頬が切れて顔の片側が血だらけになっている。竣平も目を丸くした。 真っ青になって母が訊ねた。 「おと……お父さん、それどうしたの!?まさか変質者に!?」 「――え?」 一方父はなぜだか不思議そうな顔をした。 「父さんほっぺたから血がすげえ出てるよ……どうしたの?」 「え?血?」 竣平に尋ねられて父は頬に手をやり、そこに付いた血を見てうわっ、とびっくりしている。 「えぇ!?なんだこりゃ!?」 「なんだこりゃって……気がついてなかったの?」 「うん、ぜんぜん。いつの間にこんな……どこで切ったのかな」 父の話ではそれまでまったく痛みを感じてなかったそうなのだ。洗面所で傷を見て初めて痛くなってきた、などと言っている。幸い切り傷は出血の割に大して深くはなかったので、母が消毒して絆創膏を貼ってやった。 「こんなに血が出てるのに気がつかないなんてあきれたわね……いつ切ったかほんとに心当たり無いの?」 「ああ……車に乗るまでは切れてなかったはずだよ。駐車場で看護婦さんに挨拶したけど何も言ってなかったから。あ、ところで変質者って?」 母は女子中学生が近くで行方不明になり、変質者の目撃情報がある、と説明した。 「さっきそんな話したばっかりだったから、襲われでもしたのかと思ったのよ」 「そう……嫌な話だなあ」 父はちょうど風呂から上がってきた娘に声をかけた。 「冬実、変質者が出るってよ。気をつけろよ……」 「先生にもお母さんにも言われた。わかってまぁす」 翌日竣平は、学校で友達に父の怪我の事を話した。 「いつ切ったのか全然わからないんだって。結構血が出てたんだぜ。なのに言われるまで気づかないなんてさ、おかしくね?」 「ミステリーだね」 後ろの席の入谷(いりや)という友人が答えた。入谷も竣平と同じく新興住宅地に越してきた新入りだった。 その後授業が始まり竣平がノートを取っていると、手元にぽんと小さく丸められた紙が投げ込まれてきた。開くとその紙には「かまいたち」と書いてある。 かまいたち? 竣平は首を傾げた。紙が飛んできた後方を見たが、誰が投げたかはわからなかった。 再び休み時間――竣平は近くの席の藤江と雑談中にその紙を見せて訊ねてみた。藤江は土地の人間で、中では一番竣平と親しくしている。 「藤江さ、そこに書いてあるかまいたち、って知ってる?」 後ろから入谷が口を挟んだ。 「かまいたちって、妖怪の?急に体のどっかが切られたりするっていう、あれ?」 「体のどっかが……?あ!」 竣平は気づいて声を上げた。 「じゃあまさか、うちの父さんが顔切ったのって……」 入谷が続けて言う。 「あれってさ、自然現象なんだろ?つむじ風で真空ができて切れるんだっけ、漫画かなんかで読んだよ。でも車の中だったんでしょ?つむじ風なんかおきないよなぁ……」 「車の中……」 紙を開いて眺めていた藤江が呟いた。 「うん」 竣平は昨夜父が顔を切って帰ってきた時の様子を説明した。すると藤江は 「おじさん車の窓開けて運転してなかった?」 と、なぜか真剣な表情で訊ねる。竣平は首を傾げた。 「え?どうかなあ……でも、開けてたかもしれない。時々タバコ吸うから」 「あのさあ……東京とかからきた竣平達に、こんな話すると田舎モンって馬鹿にされそうで話したことなかったけどさ……」 藤江は少し眉を顰めながら言った。 「竣平んちがある住宅街の真ん中に、広い道路が通ってるだろ?山を抜けて、市に続いてる道。まわりに家が建つ前からあれだけ先に開通してたんだけど、そこを車で通り抜ける時は窓を閉めておかないと、かまいたちがとびこんできて切りつけられるって噂があったんだ……そんなの信じちゃいないけどなんか気持ちが悪くて……俺らつい窓を閉めちまうんだ。もう癖になってんだよね。あと、あそこ小さい山の割に、昔から迷い込んでそのまま行方知れずになる人が多かったとかで……人をとって喰う化け物が棲んでる、なんていう伝説があるんだ。だから行っちゃ駄目だっていうのは地元じゃ昔から言われてて……」 「行っちゃ駄目もなにも、俺らそこ住んでるんですけど?」 入谷がおどけて言った。 「うん、だよね。だから……ただの迷信なんだよ」 藤江は苦笑しながら言った。 「けど俺たち、小さい頃から土地の年寄りにそう言い聞かされて育って来ちゃったから、未だになんだかびびっちゃうんだよね……バカバカしい話なんだけどさ……」 「そうか……だからみんなうちには遊びに来てくんないのかなあ……」 竣平は呟いた。藤江は取り繕うように 「いや、そんなことないよ。迷信迷信。げんに住宅ができたって別になにも起こっちゃいないだろ。気にすんなよ。ゴメンな、ヘンな話して」 と謝った。

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