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第10話

「み、見てたって……そんなことどうしてわかんだよ!?」 瑞生が震え声で言い返す。 「お前から女の子のにおいする。近くにいたんだろ?それにその服、鱗粉だらけだ。お前、蛾のヤロウの仲間なのか?そうじゃなきゃどこでくっつけてきた?鱗粉、たくさんだとヒトには毒だぞ。おいらはくしゃみぐらいですむけど」 大男は鼻をこすりながら言った。 「瑞生、今の、ホントなのか?本当に冬実がいなくなるとこ見てたのか?」 瑞生は口を(つぐ)んでいる。 「なあ、どういうことなんだよ!?お前、なんか知ってるのか!?知ってたら教えてくれ!」 竣平が夢中で詰め寄ると、瑞生を捕まえているこげ茶色の男が口元に薄く笑いを浮かべて呟いた。 「言いたくないなら別にいいさ……でも診療所の先生らは恩人なんだ。そこんちの娘さんかどわかした奴の仲間だってんなら、ちょいと仕返しさせてもらうかなァ……」 そう言う間にこげ茶色の男の顔つきが変わりだした――大きな目が金色に輝き始めたかと思うと、次いで口が横へ裂けて真ん中が突出し――見る見るうちに猛禽の鋭いくちばしの形へと変化した。 息を呑んで竣平がそれを見ていると、今度はすぐ隣に立つ大男の体が、むくむくと盛り上がるようにさらに膨れ上がって竣平の三倍ほどの背丈になった。やがて全身をヒグマのような黒い毛が覆い始め――その額に、三つめの目がカッと開いて光っているのに気づいた時、竣平は背筋が凍りつき身を縮めた。瑞生は真っ青になり、怯えきって声も出せないようだった。 巨大な獣は体を折り曲げ瑞生に向かってかがみ込むと、その顔にガァっと荒々しい呼気を吐きかけた。毛に覆われた大きな手には、太く頑丈そうな黒い爪がずらりと生え揃っている。これで殴られたらひとたまりもないだろう。肉が全部削がれそうだ。 竣平は必死に気を奮い立たせ、顔を引きつらせながらやっと叫んだ。 「ま、待って!待って待って!瑞生に何する気なんだ!?止めてよ!」 「止めてだって?」 こげ茶色の男は今ではすっかり鳥の化け物のようになってしまった顔を竣平に向けた。 「こいつは妹さんさらったやつとぐるかもしれないよ?」 「ぐるかどうかはともかく、乱暴するつもりなら止めてくれ!クラスメートなんだよ!友達なんだから!」 竣平がそう叫ぶと、青くなっている瑞生が驚いた顔をした――次の瞬間、二人は化け物から元の人間の姿に戻っていた。 こげ茶色の男は瑞生を捉えていた手を放しながら呟いた。 「友達ねえ……?どうもよく、わかんねえな……」 「いいよ。今度は鱗粉のあとつけりゃあ済むからさ。ちっとくしゃみは出るけど」 大男が言って歩き出した。焦げ茶の男も続く。竣平もその後を付いて行こうとすると、瑞生が後ろから叫んで呼び止めた。 「ま……待って!神保君!ごめん、俺、見てた……!」 「え?」 竣平が振り返ると、瑞生はうなだれて詫びた。 「ほんとに……ごめん。俺、あいつらに……誰にも言うなって脅されて……おっかなくて……」 竣平は瑞生に駆け寄った。 「あいつら?じゃあ、冬実がどこにいるか知ってるのか!?」 「うん、知ってる……ここから見える向こうの、あの……山の中にある廃ホテル……」 瑞生は少し離れた所にある山を指差した。 「でも、道が崩れてたから歩いては行かれないと思う。あいつは飛んで行ってた……」 ――瑞生は昨日の放課後、時間つぶしのため一人でここに立ち寄ってそこいらをぶらついていた。 すると歩道の方から何かばさっという物音がした。何気なく上からそちらを見下ろしてのぞくと、そこには前に見たあの砂色の帽子とマントを着た背の高い男が立っており、その足元に先程の音の正体らしい紙袋が落ちていた。男は瑞生に気付くと以前のように口元でニヤリと笑い、ふいに舞い上がった。 男の体が宙にふわりと浮いたそのとき、マントがめくれて内側の目玉模様が見えたのだが――それと一緒に、少女のものらしいピンクのスニーカーを履いた両足も見えた。男は少女をマントの内側に抱え込んでいた。その子はぐったりとして動かず、意識が無いようだった。 男は、呆然としている瑞生のすぐ前に着地すると、今見たことは誰にも言っては駄目だよ、君は仲間になれそうだから、襲わないでおいてあげる。と囁いた。 「……君はいつも一人ぼっちでつまらなそうだよねえ、もうすぐ僕達の子供が、たくさんたくさん産まれるから、その子達と遊んであげておくれ。そしたらもう寂しくないよ……」 「……こ、子供?」 「会わせてあげよう、まだ卵だけれど。少し飛んだところだよ。僕は以前この山に住んでいたんだけど、今は人間が切り開いてこんな風にしてしまったから他の山に引っ越したんだ。でもそれもそう悪いことでは無かったよ。なにしろ今の巣にはうるさい人間どもが入ってこられないし、移動したおかげで素晴らしい伴侶に出会えて、新しい所帯をもつこともできたから」 そう言って男はまたふわりとマントを開くと、すくんで動けずにいる瑞生を内側に引き込み舞い上がった。隣にはさっきの少女が同じように抱えられている――そこで瑞生は男の腕が四本あるのに気づき、気が遠くなりかかった。 男はどんどん飛んで山へ近付き、やがて降り立つとにこやかに言った。 「着いたよ」 目の前に、周りを森に囲まれ廃墟になった建物があった。屋根がとがって洋館のような奇妙な形をしている。それで思い当たった。以前、この山を抜ける県道が数箇所のがけ崩れで不通になり、経費がかかりすぎるため補修工事はなされず、県道は別の部分へ通された。これはその時廃業したホテルだ。 男は先ほどの少女を抱きかかえて中に入っていく。瑞生は恐ろしさで動転していたが、どうしようもなく、恐る恐る男に付いて行った。建物の中は蜘蛛の巣だらけだった。 薄暗い中、足元を何か小さなものがキイキイ言いながら走り抜ける。 「かまいたちだよ。大して力はないから大丈夫。こいつらは車がきらいでね、だから時々山を下りる時連れて行ってやって、この間君が見たように運転する人間を襲わせてウサをはらさせてやってるんだ。だから私には懐いているんだよ……」 かまいたちは動きが早くてどんなようすなのかよく見えなかったが、壁にあいた穴に眠ってるのがいた。茶色くてなめらかな毛をした小さい動物のようだったが、両前足の爪が一本異常に長く伸びて発達している。あれで切りつけるんだ。瑞生は思った。 さらに男に付いて行くと、彼は一番奥のドアを開けて中に入った。瑞生も続いて入ったが、部屋の中は真っ暗で何も見えない。すると、天井の方から女性の声がした。 「ご苦労様。悪かったねえ。思ったよりもたくさん卵ができたから、一体じゃ足りなくなってしまってね」 「いいさ。最近人里は犯罪が多いから、二人ぐらい続けて行方不明者が出てもさほど目立たないよ」 「ありがたいことだ。楽しみだねえ、あたしたちの赤ん坊。あたしは飛べないが、お前様の血が入れば、子供たちは力強い翅を持って生まれてくるに違いない」 「君に似ればさぞ美しいだろうし、毒も僕より強くなるね」 「そうして人間の血肉を与えれば、あたしらよりずっと寿命が長くなる……」 声が近付いてくる。瑞生が闇に目を凝らしていると、ふいに目の前にさかさまになった女の白い顔が現われた。長い艶のある黒髪は垂れ下がって床につきそうだ。唇が濡れたように真っ赤に光って艶めかしい。濃い睫毛に縁取られたその目は妖しく輝いている。綺麗な人だな……ぼんやりと思ったが、次の瞬間その女が人間ではなく、巨大な毒蜘蛛の体を持った化け物だという事に気がついた。 瑞生は目を見開いて突っ立ったまま金縛りのようになって動けなかった。 女は男から少女を受け取ると、逆さに下がったまま男に顔を近づけた。そうして接吻する。 「この男の子はきっと、子供たちの良い友達になってくれるよ。人里の事を色々教えてくれる友人がいれば、狩にも都合がいい。生き延びるのに有利になるだろう」 「それは本当に良い考えだ……全く、お前様は頭が良い」 男は瑞生に背を向けたまま片腕を伸ばし、部屋の隅を指差した。 「ほら、見てごらん。向こうに卵が並んでるだろう?可愛いよねえ。あそこから、やがて小さな子供たちがたんと出てくる。最初はここにある二体の人間だけで充分栄養が足りるくらいに小さいんだ。でもすぐに大きくなってもっと食事が必要になる。子供たちの手助けをしてくれれば、憎い相手を皆餌にして処分してあげるよ。ここへ運び込んですっかり食べてしまえば証拠は残らない。悪い話ではないよねえ。君にはこの世から消えてほしい嫌いな人間がたくさんいるはずだ……」 そう言いながら男は帽子を取り、瑞生の方に向き直った。 彼の頭は砂色の細かい毛で覆われ、てっぺんには魚の骨のような形の巨大な2本の触角が生えていた。そしてその目は瞳も瞼も無い――昆虫の複眼だった。 瑞生はついに悲鳴を上げた。男がこちらへ向かってくる。 「ここで見たことは、もちろん誰にも言わないよね?私たちは、友達だものねえ――」 逃げたかったが、体が固まってしまって動かない。 「友達は大事にしておくれ。裏切ったら子供たちを送り込んで、きみをすっかり食べさせてしまうとしよう。逃げられはしないよ」 男はさらに瑞生に近付きマントを開いた。目玉模様が見える。顔に二つ、翅に四つ。六つの不気味な目に見据えられ、瑞生は気が遠くなった。 気付くとさっきの公園だった。どこからか男の声がする。あの恐ろしい姿でばさばさと空を舞う男を想像し、瑞生は上を見る事ができなかった。 「そうそう、忘れていた。さっきあの女の子が落とした紙袋、拾って始末しておいておくれ。ここでいなくなったと悟られないように。頼んだよ――」 瑞生は駆け出し、震えながら歩道に落ちていた紙袋を拾った。中には洋服が入っているようだった――それを腕に抱え、何も見ないようにしながらまっすぐ家まで走って帰った。

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