11 / 21
第11話
「じゃあ、冬実は、生きてるんだね!?」
竣平が夢中で訊ねると、瑞生は頷いた。
「うん。卵がかえってから餌にするから――それまでは眠らせておく、って」
「あんまり時間はないよ。すぐ行かないと」
こげ茶色の男が言う。
「でも、歩いて行けないって――」
竣平は戸惑った。
「大丈夫。あのさあ、案内してくれるよな?」
こげ茶の男は瑞生を振り返って尋ねた。瑞生がまた頷く。
「そんじゃ、行こう」
こげ茶の男は呟きながらさっと片腕を空へ伸ばした。それはたちまち鳥の翼へと変化し、大きく広がった。
「おいら虫と違って余分な足は無いから抱えてやれないよ。自分で捕まっててくれ」
もう一方の腕を同じく変化させながら男は言った。今では彼の両腕は翼になりきり、力強く羽ばたいている――人間大の鳶と化した男は、その背に瑞生を捕まらせて舞い上がった。竣平は目を丸くしてそれを見つめた。
「おいらも行かないと。あいつだけじゃ女の子連れて帰って来れない」
大男は言いながら背をかがめた。ぼん、というようにその体が一瞬で誇張し、黒く巨大な、熊に似た獣の姿に変化する。
竣平は慌てて叫んだ。
「俺、俺も連れてって!妹心配だから!」
「うん。背中に乗っていいよ」
竣平は悪夢でも見ているような気分で、獣の背によじ乗り、硬い毛に指を絡ませて掴まった。
獣が走り出す。早い。殆ど飛ぶようだ。前からぶつかってくる空気で息ができなくなり、竣平は獣の背に顔を伏せた。山鳴りのような地響きが轟く。少しでも油断すると体が振り飛ばされてしまいそうで、必死でしがみついた。
やがて獣は速度を落とした。
「こっから歩くな。いつも言われてんだよ、おいら走ると地響きがすごいから、目的地が近付いたら歩けって」
「う、うん」
竣平は顔を上げて息をついた。地面が遠い。
そのまま背中で揺られているうち、前方の木々の間にとがった屋根のある洋館のような建物が見えてきた。きっとあそこだ――
近付きながら様子をうかがった。瑞生達はどこだろう。
と、建物の上階にある木枠の窓の鎧戸が内側から開いた。中からこげ茶の男が半分人間になった姿で顔を覗かせている。巨大な獣は伸び上がって窓枠に手を掛けた。その背を伝い、竣平は窓近くまでよじ登って獣の肩越しに建物の中を覗きこんだ。
真っ暗な部屋に、人型の、白い繭のようなものがぽっかり二つ浮かんでいて――その傍らに瑞生がいる。瑞生も宙に浮いているように見えたが、部屋の四方から縦横にクモの巣状に糸が張り巡らされていて、彼はその上に立っているのだった。
瑞生が竣平に気づき小声で言った。
「これ――この糸、頑丈で外れないんだ。なんとか切れないかな……」
「わかった」
獣が返事をする。
獣は窓から片腕を差し入れ、辺りに張り巡らされた糸の根元を鉤爪の付いた大きな掌でぐわっとすくってかき集めた。瑞生が、乗っていた糸をいきなり切られてバランスを崩し落ちかける。内側から窓枠に取り付いていたこげ茶の男がすぐに鳥の姿になり、瑞生の肩を両足で掴んで空中に舞い上がった。
「おいちょっと!危ないな!声くらい掛けなよもう!」
羽ばたきながら文句を言う。
「ごめんごめん」
巨大な獣は今度は両腕を使って、漁師が投網をたぐるように蜘蛛の糸をかき集め、人型の、二つの繭を手元まで引き寄せた。それをまとめて抱え、そっと外の地面に下ろす。鳥の男が瑞生とともに隣に舞い降りた。
獣は慎重に鋭い爪で繭を割った。中に少女が眠っていたが、冬実ではなかった。
「この子じゃないね。きっとそっちだ」
もう一つの繭を裂くと、今度こそ冬実だった。目は閉じているがすうすうと息をしている――それを確かめて竣平はほっとした。
「お前たち――なんという――なんということを……!」
そのとき、怒りに燃える恐ろしい声が頭上から響いた。さっきの窓から目を吊り上げ長い髪を振り立てた女の顔が覗いている。
「そりゃあこっちの言う事さね。この子は恩ある方の娘さんだ。餌にしようなんてとんでもねえ了見だ。しかもたかが虫けらの変化モンの分際でさ」
鳥男が言う。
「虫けらだって?馬鹿におしでないよ!」
「たまたま長生きして化けただけのまぐれ妖怪が、山神様のお作りになった本格妖怪に楯突くと損だぞ。おいらお前を喰っちまうのなんか造作もないんだから」
巨大な獣が牙をがちがちと打ち合わせる。女は悔しそうに歯噛みした。
「おのれ――覚えておおき!」
しかし窓から出てこようとはしない。きっとあの女はこの二人にはかなわないのだ――竣平は冬実の体を繭から引っ張り出しながら思った。力の差は歴然という事か――冬美は眠っているだけで、見たところ怪我もしていないようだ。良かった――親たちに早く知らせてやらねば。
もう一人の子も繭から出してやり、瑞生と一緒に女の子たちを獣男の背に乗せた。鳥男が一緒に支えてくれる。
「そいじゃくまちゃん、道があるとこまで頑張ってくれや」
鳥が声をかけると獣は頷き、ゆっくりと歩き出した。
山を下り、近くの新県道まで来たところで瑞生と一緒に女の子たちを獣の背から抱えて下ろした。電話をかけて捜索している親たちに連絡し、そこで迎えが来るのを待った。やがてパトカーと父の車が近付いてくるのが見えたので、竣平は二人の男に礼を言おうと振り返ったが、もうそこには彼らの姿はなかった――が、診療所で会えるはずだ。
少女達は眠っているだけで無事だった。二人は運ばれた先の市内にある大きい病院で手当を受け、じき目を覚ました。
竣平と瑞生は警察に発見時の様子を聞かれたが、山の中を闇雲に探していて、倒れているこの子達を見つけた、とだけ話した。目を覚ました少女たちはさらわれた時のことも、行方不明だった間のことも何も覚えていなかった。
その話が伝わると、捜索の手伝いをしていた地元の人々は、まるで神隠しだ、でも見つかってよかった、と喜んで口々に言い、神保家の人達をねぎらってくれた。
本当に何があったのか知っているのは俊平と瑞生だけ――とんび達を除けば――ということになる。でも、虫の妖怪に捕えられて餌にされるところだったなどと話してもきっと誰も信じない、黙っているのが一番良いのだ――追求されるかとも思い心配したが、町の警察も人々も、まるでこういう不可思議な出来事に慣れてでもいるかのような様子で――竣平達の話をそのまま受け入れ、しつこく尋ねられるような事はなかった。
その晩冬実は無事家へ帰ってきた。もうなんともなさそうで元気にしており食欲もある。いなくなる前公園のそばで何か怖いものを見た気がするが、よく覚えていないと語った。両親は、何があったか気にしつつもまずは回復させるのが第一と考え、それ以上は訊かないでおこうと決めたようだ。警察は今後警戒を強め見回りを強化するそうだ。そうなればあの虫の化け物も、簡単に子供をさらったりはできなくなるだろう。
翌日――学校は休みだったので、竣平は朝ごはんのあと診療所に行った。
自転車を診療所と祖父母の家の間にある駐車場の隅へ止めていると、そこに植えてある木の上の方から
「坊ちゃんこんちは」
とのんびりとした声がした。見上げると枝の一つに、あのこげ茶の男が寝そべっている。
「坊ちゃんはやめて欲しいなあ……あの、昨日はどうもありがとうございました。妹、元気になりました」
俊平は頭を下げた。
「いいさいいさ。カエデが世話になってるからな」
「カエデ?」
「うん」
言いながら男は竣平の目の前にふわりと下り立った。
「カエデ、おかげで大分良くなったよ――前みたいに笑ってくれるようになってさ、嬉しいんだ、おいら」
「ふうん――?」
竣平は男と一緒に診療所へ入った。
「あの、ええと、お兄さんは、名前なんていうんですか?」
「おいら?おいらはとんび。とんびのとんちゃん」
「はあ、とんちゃん……」
「あっちがくまちゃん」
のっそり向こうの廊下を歩いていく大柄な男を指差してとんびは続けた。
「あの優男がやぎのぎいちゃん」
病室の前まで来ると、ベッドに腰掛けた下着姿の少年の体を手ぬぐいで拭いてやっている白スーツの男を指差す。
「そんでこの子がおいら達のカエデ。ニンゲンだけどな、自慢のカエデだよ」
そう説明しながらベッドにひょいひょいと近付き、とんびは少年の体をぎゅっと抱き締めた。少年が不思議そうに声を上げた。
「え?とんちゃんどしたの?急になに?」
「あ!こらとんび!今せっかく拭いたばっかなんだぞ!汚い手でさわるんじゃないよ!」
やぎと呼ばれた男が文句を言った。
「汚かねーよ!いいじゃんか。ぎいちゃんは知らねえだろうけどな、ヒトってェのはな、こうやって可愛がってる相手を抱えてだな――」
とんびは言いながら、抱いたカエデの頬に唇を押し付け音を立てて接吻した。
「――こんな風にすんだぜ。俺見たんだ。なあ?」
病室の入り口にいる竣平に向かって同意を求める。
「え!?」
いきなり振られた竣平はまごついた。
「ほう?」
やぎは片手であごを撫でながら興味深そうな様子をした。
「齧って喰うのとは違うんだ?」
「違うよ。齧るんじゃなくてな、こりゃあな、きすっつうんだ」
説明しながらとんびはもう一度少年の頬に接吻した。
「はあ。きすね。ちょっとやらして」
やぎもとんびの真似をしてカエデを抱きすくめ、頬に接吻する。
「ああなるほどねえ。いいもんだ。カエデのほっぺたは柔らかくて」
「ちょっとちょっと!」
カエデは両側から二人に抱きつかれたまま困って声を上げた。
「とんちゃん絶対なんか誤解してるよ……ねえ?」
竣平に笑いかける。
「う?うーん、そうかも……」
「誤解?そうかい?あっちの部屋に置いてあるテレビってのにいっぱい映んだ。みんなやってたぜ」
とんびは待合室の方にあごをしゃくって言う。
「テレビで見たの?ははあ。さてはとんちゃん、恋愛ドラマばっか見てたんでしょ……」
カエデが言った。
「なんだか知らね。でも面白いよな、あの四角いの。色々見られて。おいらも欲しいや」
そこへくまが鍋を下げて入ってきた。
「あ!みんななにやってんの!?楽しそうだなあ。おいらも混ぜて」
やぎが慌てる。
「くまは駄目だ!力加減が下手だからカエデが潰れっちまう!ほれ、とんび、お前もどけ。寝巻き着せんだから!」
診療所で借りたらしい浴衣をカエデに着せてやり、やぎはくまが持ってきた鍋を受け取った。よく囲炉裏に下がってるような鉄鍋で、木の蓋がしてある。
蓋をとると、中には真っ赤な汁物が湯気を立てていた。トマトスープ?にしては色がちょっと違うような……竣平は疑問に思って訊ねた。
「あのう……それ、なんの鍋?何が入ってるの?」
「おいら達の血肉だよ」
くまが答える。
「血っ、血肉!?」
竣平は上ずった声で叫んだ。
ともだちにシェアしよう!