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第16話
竣平はどこか暗い中に、蜘蛛の糸に絡めとられて寝かされた状態で浮いていた。両手は前に纏められてしまっているし、足も動かせない。
「全くお前が……余計な連中を呼び込んだせいで……ああ口惜しい。せっかく、せっかく卵があんなにできたのに!お前には痺れ毒は入れないで、起きたまま子供たちに食べさせてやるから覚悟おし!」
竣平の顔を逆さに覗きこんだ女がそう喚いている。喚くたび垂れ下がった長い髪が顔を撫でて恐ろしかった。
「そんなに気を張り詰めるとお産に障るよ。仕方がないよ、あきらめよう。また一から作り直せば良いのだよ」
昆虫の顔の男が隣から覗きこんで女をなだめた。
「けれどこの恨みは忘れられないよ。せっかく用意した人間 を盗られて、孵りかけた卵を自分で食べてしまわねばならなかったのだから」
「うんうん。可哀想に。でもおかげで最初よりずっと良い食事が手に入ったじゃないか」
男が言う。
「この子をごらん。人間の体に妖怪の血が流れている珍しい半人半妖だ。貴重だよ。ヒトでありながらヒトでない生き物。我々はヒトを喰らえば精がつくし、妖怪を喰らえば術がつく。私たちの力では妖怪を襲って狩る事はできないけれど、この子はヒトと同じに牙も爪も無いからこんなに簡単に掴まえられた。どうだい、私たちも試しに少しこの子を食べてみないかい?どんな術が使えるようになるか……子供たちの分はちゃんと残しておいてやろう」
「僕は術なんか使えないよ。無駄だと思うよ」
カエデの声がした。竣平がなんとか首をわずかに動かすと、少し離れた所にカエデの姿が白く浮かび上がって見えた。彼も同じように絡めとられているようだ。
「それはお前が変化 しきっていないからだよ。妖怪どもは、元がただの昆虫だったからと言って変化物だなどと私たちを軽んじるが、もしその変化物が妖怪並の術を見につけたら、もう馬鹿になどできないはずだ」
目の前の男がつ、と離れ、カエデに歩み寄って行くのが見えた。
「体に穴をあけるとすぐ死んでしまうだろうからねえ……。手足の先からもらうとしようか。切り落とした後にお前の糸できつく縛っておけば血もそうたくさんは流れ出さないから、問題なく生きていられるだろう」
男は縛ってまとめてあったカエデの腕を掴んだ。
「さ、お前、この子を吊り下げておくれ」
女はするするとカエデの頭上に登っていく。やがて、はあっというため息のような音がして口から糸が吐き出された。女はカエデの両足にその糸を掛けると、八本の手脚を器用に使い、逆さに吊り上げた。
縛られた両腕を掴んでいる男が、カエデの姿を吟味するように眺めて言う。
「まずは肘まで食べようか。お前は右、私は左を貰うとしようね」
男がノコギリのような道具を取り出した。
「私は牙がないのでこれを使わせてもらうよ。古くてあまり切れ味が良くないから相当痛むかもしれないが、勘弁しておくれ。痺れ毒も使わないよ。妻が怒っているから」
「僕の体は、僕を育てたぎいちゃん達のものだ」
カエデが逆さに吊るされたまま、怯えた様子もなく言い放った。
「僕を食べていいのは彼らだけだ。手を出したら、後でどうなっても知らないよ」
「そうかね?その彼らは今頃、うんと離れた見当違いの場所へ導かれているさ。かまいたちに頼んで鱗粉をそちらへたっぷり撒かせてきたからね」
言いながら男はノコギリの歯をカエデの肘へあてる。
「やめ……やめろよ!よせってばっ!切るなッ!」
竣平は叫んで必死に体を揺すったが、張られた糸は強く、微かに揺れただけだった。
「うるさいねえ。お前、あの子の口を塞いでおいで」
男が指示し、蜘蛛女が竣平の方へ近付いてきた。再び逆さに顔を覗きこんで口から糸を吐き出す――顔に絡みついてくる糸を竣平が頭を左右に動かし振り払おうとしていると、急に女が糸を吐き出すのをやめた。
「お……お前様、卵が産まれるよ!」
「なんだって?随分早いじゃないか」
「いい、いいから早く産室へ連れてっておくれ……」
男はノコギリを取り落として女に駆け寄り、脇を抱えて暗がりへ連れて行こうとした。するといきなり――黒い壁の一部が崩れ落ち、外からさっと、眩しい日の光が差し込んできた。
「な、なんだい!?」
女が叫ぶ。
「てめえら自分が何しでかしたかわかってんだろうな?」
とんびの声だった。
「あんなつまらない手で行き先をごまかせるとでも思ったのか?かまいたちは元々、山神様がお作りになったおいら達のような山怪 に仕える連中だ。てめえら変化モン風情が扱えるやつらじゃねえんだよ」
日光の差し込む場所から中へ入ってきたとんびの姿は上半身が鳥のような妖怪に変化していた。すぐその後から巨大な黒い図体が、さらに壁を崩しながら入ってくる。続いてまだ人の姿のままのやぎが現われて叫んだ。
「カエデ!」
一瞬で彼は吊り下げられているカエデの脇に立ち、糸を引きちぎってそっとカエデを下に降ろした。そのまま何も言わず、蛾男と蜘蛛女を睨み据える――瞳が火のような赤い光を放ちだし、体が銀白色に輝いた。両手が忽ち逞しい前肢に変わり、地面を踏み締める。首をぶるんと振るとその頭上に、凶暴なうねりを持ち、先の鋭く尖った二本の長い角が瞬時に生え揃った。
「俺たちの大切なカエデをこんな目に遭わせて、無事に済むとは思うなよ」
その声は地の底から響くようだった。
蛾男は、ひ、というような悲鳴を上げ、砂色のマントを開き舞い上がって鱗粉を撒き散らしたが、くまが腕を一振りするとその粉はたちまち吹き散らされて跡形も無くなった。
飛んで逃げようとした男の服から出た手足の先は、弱々しい昆虫のものだった。毒を含んだ鱗粉以外には抵抗する術を持たないらしい男を、とんびが鋭い鉤爪で襲う。男は翅を引き裂かれ地面に落ちた。
か、という、蹄が地に当たる音がした。
「ま、待ってくれ!妻が産気づいてるんだ、赤ん坊が産まれるんだ……」
叫ぶ蛾男はしかし、すくい上げるように動いた銀白色の妖怪の、鋭い角の一本にあっという間に体を貫かれた。腹を串刺しにされ、蛾男は、角の上でわずかに体をひくつかせたのち動かなくなった。その姿は――今ではただの巨大な蛾に変わっていた。
頭上に蛾の死体を掲げたまま、白い獣に変じた男が、赤い目を光らせながら蜘蛛女に近付く。
「た、助けておくれ!あたしはどうなってもいいんだよ!どのみち卵が孵れば寿命がすぐ尽きるんだ。せめて、せめて卵だけでも産ませて……子供たちだけでも生きながらえさせてやっておくれ!もう絶対に人を襲ったりしないように約束させるよ!後生だから……!」
女は悲痛な声で命乞いをした。だが鋭い角を持つ妖怪は全く躊躇せず、あっという間に蜘蛛女の頭を硬い蹄で踏み潰した――
竣平たちが連れ込まれていたのは、廃ホテルがあるのと同じ山の中腹を貫く、もう使われていない県道のトンネルだった。
竣平とカエデは、妖怪達に救い出され、その背中に乗せてもらって診療所へ帰った。
戻ると泰孝がほっとした顔をした。瑞生は泰孝に手当てされて無事だった。
「神保!カエデくんも!良かった……!」
「二人共無事か。ほんとに良かった、帰ってこなかったらどうしようかと……でも瑞生くんが、あの三人が助けに向かったと言うんで大丈夫だろうとは思ってたが」
父はそう言ったが、竣平は複雑だった。
この妖怪達は、人間のように同情心や正義感で行動する訳ではなく……今回自分を助けてくれたのも、単にカエデの世話をしている医者の息子だったからでは……
子供だけはと叫ぶ女を――自分達を餌にしようとした化け物ではあったが―― 微塵の迷いも無くあっさりと踏み潰したあのやぎの姿……助かったと安堵すると同時に、酷く恐ろしくもあった……
連中は……自分たち人間とは全く違うのだろうか……
今はカエデをすごく可愛がっているが、当のカエデは、自分の体は彼らのもので、いつ喰われてもいいのだ、などと言う――妖怪に育てられたカエデは、人間とはもう、感覚が違ってしまってるのだろうか――
今、妖怪達は、カエデが怪我させられていないか腕を持ち上げたり浴衣の裾をまくって覗き込んだり、なんやかや言いながらあちこち点検している。大の男三人がそうやっておろおろしている様は傍から見ると滑稽で微笑ましく……現に父は笑顔で眺めているが……彼らの真の姿と、窺い知れない頭の中を思うと――竣平はなんだかうすら寒いような……不安な心持がしたのだった――
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