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第17話

「あのう、若先生――」 診察の合間、診療所の事務員が、また不安そうに泰孝に声をかけてきた。 「ん?どうかした?」 「あの、入院患者さんの家族の方が受付にいらしてるんですが――」 泰孝が窓口のある待合室に赴くと、そこにとんびがいた。 「ああ、君か。どしたの?」 「あ、若先生、あの、これ。これね?」 とんびは少し首を傾げながら言った。なにやら大きい、旅行用のようなバッグを持っている。 「これ、この、こういう――これでいいのかなあ?カエデがここで世話になってる御礼……」 「え?」 泰孝は、とんびが口を開けて差し出すバッグを覗きこんだ。すると中には、たくさんのむき出しの札が無造作にがさがさと突っ込まれている。 「え!な、なにこれ!?いったいどうしたの!?」 「仲間から、これがヒトの使うオカネってもんだ、って聞いて……そいつがいらないっていうからもらってきたんだけど、若先生、ほんとにこれがオカネ?仲間の言うこと、合ってる?」 「あ、合ってる……けど、もらった、って――」 「合ってた?へえー。ただの色のついた紙に見えるがなあ――?まあいいや。そいでね、カエデがね、オカネがあるなら若先生んとこへ持ってけって言うから……ええと、ここでお世話ンなってる御礼には、こんなもんで足りるかねえ?」 「足りるもなにも――多すぎるよ!」 「あ、じゃあ良かった。そいじゃ、はい」 とんびはほっとした顔になってバッグを泰孝に押し付けてくる。 「ちょ、ちょっとちょっと!困るよこんな風にして渡されても!」 「困る?なんで?多い分にはべつに問題ないんじゃないの?」 とんびはきょとんと訊ねた。 「あまったら若先生の方で捨てちゃっていいですよ」 「捨て……あの、ちょっと……ちょっとあっちの廊下で話そ――」 患者が来たので、泰孝は内心頭を抱えながらとんびの肩に手を添えて促した。 「これ……けっこうな大金だよ?いったいどうしたの?」 「どうした……ええと、仲間を拝みに来る人間が勝手に置いてくから、ほっとくと増える一方だそうで。そいつが言うには、酒や喰いモンはありがたいけど、この紙には困ってるって。ヒトの強い念がこもってるもんだから無下にはできなくて、捨てるのはまずいって言うから引き取ってきたんです」 「拝みに来る……?その仲間って?なにやってる人なの?」 「ヒトじゃなくてね、妖怪……いや、神様、かな?そいつ、本来はおいら達と同じ妖怪だけど、長年ヒトから敬われて神様扱いされてるうちに、その念を取り込んである程度力がついたんだよね。ま、ほんとの神様に比べたらごく弱い力ですけど」 「へえ――?どこにいるんだい?その神様は」 「若先生、(ふた)ツ山ってご存知ですか?」 「うん。あっちの方の――市の外れにある小さい山の事だよね?」 山頂が二つに分かれて見えるため、そう呼ばれている。 「はい。その二ツ山の麓の池のほとりに、馬の形したでかい石があって……」 「馬の……?ああ!」 馬形の石と聞いて泰孝は思い当たった。賭け事にご利益があるとされる大きな自然石だ。 「その馬石が仲間なんです、ハイ」 「え!あの石、ただの石じゃなかったんだ!?」 二ツ山の中腹には古い神社がある。昔は農耕馬など家畜の守護神として祀られていた神様なのだが、それがいつしか時代に合わせて競走馬の神様へと移り変わり、競馬ファンが必勝祈願に訪れるようになった。やがて参拝者が、神社の帰りに池の馬石にお参りするとよく勝てるんだなどと言いはじめ、地元では有名になった。 泰孝自身はギャンブルはやらないから拝みに行ったことは無いが、競馬好きの幼馴染がレースへ行く前は必ず立ち寄ると話していた――その馬石へ、勝った分の金の一部を奉納すると、もっと増えて戻ってくるんだそうだ。いわしの頭もなんとやらというやつだろう、と泰孝は思っていたのだが、こんなに現金が納められるとは……ご利益があるというのはまんざら嘘でもないらしい。 「でも、じゃあこれ、神社へのお賽銭ってことになるんじゃないの……?」 とんびは首を横に振った。 「神様のお社にはお賽銭箱があるから、そっちへ入ったのはちゃんと管理するヒトがいるよ。けど今、池を鎮めてるのは仲間だから、池の方へお参りに来たヒトの分はそいつのシゴトになるんだそうで。その紙は、蹲ってる仲間の腹の下にヒトが押し込んで行ったやつです」 「腹の下に?」 「うん。馬形石のね。そいつあそこで石になって長いこと休んでるんだけど、だんだんと紙が溜まってきて、腹に当たってむず痒くてたまんねえからどけてくれっておいらに言うんで、取るの手伝ってやったんだ。で、ヒトの世に返せたらその紙にとっちゃそれが一番良いそうで……だから若先生とこに持ってきたんです」 「へえ……馬石がねえ……君らの仲間だったとはな。色々いるんだな……。あ、じゃあ、世話になってる神社って二ツ山の?」 「はい。今は殆どこっちにいるけど」 「そう――」 他に入院患者もいないし邪魔にもならないので、彼らはカエデの所へ自由に出入りさせていた。そのカエデはすっかり状態も良くなり、もう退院してもいいだろうと話してあったので、入院費を払おうと思ったのだろう。 「でもなあ――君たちには冬実を助けてもらったり、こちらも世話になってるからなあ」 正直泰孝は、彼らの正体を知ってから治療費を取るつもりは無くなっていた。 「仲間んとこ置いてても困るみたいだから、もらっておいてくださいよ」 「うーん。じゃあ経費だけ……といっても大してかかってないから、残りはカエデくんに何か買ってあげたらどうだい?」 彼らはカエデを引き合いに出すと大概承知する。その事に泰孝は気がついていた。 「かって……カエデに?なに?」 が、とんびは意味がわからないようで、きょとんとして首を傾げている。 泰孝は可笑しくなった。そうか、お金がなんなのかよく知らないんだな。 「あ、じゃあ今度の休診日、それ持ってみんなで買い物に行こう。どうやって使うものか教えてあげるよ――」 約束通り泰孝は、その週末みんなを車に乗せてやって買い物に出た。 くまは、車は自分には窮屈そうで嫌だという。彼は後から追っかけるから、と言って姿を消していた。 「道、わかるのかな?」 泰孝が車を出しながら呟くと 「あのヒトは、鼻が利くから大丈夫」 と、助手席の竣平が答えた。 「鼻……?」 後ろの席に乗り込んだとんびが随分はしゃいでいる。 「おいら車って乗るの初めてだよう。面白いなあ……」 やぎは妙にかしこまって、とんびの横におとなしく座っていた。とんびがその肩をつつきながら言う。 「ぎいちゃんあれ見ろよ。ほらあの長っぽそいの。電車っつうもんだよ。ヒトたくさん詰め込んで動くんだ。まだ見たこと無いだろ。結構速いよ、なあ早く見とかねえと行っちまうぜ」 窓の外を指差しとんびが陽気に言っても、やぎは口をへの字にして正面を向いたままだった。 「……見られない」 「なんでよ?」 「目が回る」 「ええ~?こんなんで?」 「体まったく動かさないで移動するなんておかしいよ!お前は風に乗るのに慣れてるから何も感じないんだろうけど!」 「すぐに慣れるよ」 カエデが顔を引きつらせているやぎの手を握って優しく言った。 「ぎいちゃんの弱み発見しちまったなあ……」 と、とんび。 「うるさい。ほっといてくれ」 やぎは言い返したが、その声に迫力は無かった。 ごちゃごちゃやりながら市内へ着き、駅前にあるデパートの駐車場へ車を入れていると、くまが現れた。 「早っ!よく車に着いてこられたねえ……」 泰孝が感心して声を上げると、くまはなんてこと無い風に答えた。 「あっちこっちで止まるんだもん。あれじゃ追い越しちゃうよ」 「ああそうか――信号か」 泰孝は笑った。 「でもここいら面白いね。なんか色んな物あるし、良い匂いもするよ?」 くまは鼻をひくつかせ、空気の匂いを嗅いでいる。 「あれなに?あの丸いの」 「あれは――大判焼きの屋台だね。あ、そうそう、あのお金で買えるよ」 不思議そうな顔をしている三人を連れ泰孝は大判焼き屋の前へ立った。とんびの持つ袋から紙幣を取り出して支払う。袋に入った熱々の大判焼きをおばちゃんがくまに渡してくれた。 「ああそうか!取り替えるのか!」 とんびが納得した様子で叫んだ。 「面白いなあ……若先生、この紙、なんにでも取り替えられるんですか?」 「うん。店に売ってる物とならね」 「へええ……」 「美味いよ、これ」 くまは嬉しげに、さっそく大判焼きを頬張っている。 それから皆であちこち見て回り、ろくに着替えのなかったカエデに服を買う事にした。 三人はああでもないこうでもないと揉めて、カエデにとっかえひっかえ試着させている。 「ちょっとぎいちゃん!それ女の子の服だよ!あったとこに戻してきて!」 「え?だめなのか?カエデに似合いそうなのに……綺麗だよ、ひらひらして花みたいだ」 「綺麗でもスカートはちょっと……。ねえ、みんなも自分の服買えば?もう僕のはいいからさ」 カエデが苦笑しながら言った。 「おいらその小さい丸いの絶対扱えないからいらない」 くまが答える。 「小さい丸いの?ああ、ボタンか」 「だよな。特にくまちゃんには難しいよ。それにおいら達が服着るなら、この練習した変化の姿も変えないとならないし」 とんびが言った。 「え?ちょっと待って。じゃあとんちゃん達ってもしかして、服、着てないの!?」 竣平がびっくりして尋ねるととんびは頷いた。 「そ。服着た形に化けてんだ。その方が簡単なもんでな。服が無い時のヒトの体ってそこらにゃ見本がないしさ、よくわかんねえから」 「僕の見れば?」 カエデが試着していたコートを脱ぎながら言った。それを受け取ってやぎが言う。 「ヒトの体は一体一体違うだろ。みんなしてカエデの真似するわけにいかないよ。それに見てるとカエデだって年が経つにつれてどんどん体の形変えるじゃないか。まったく器用なもんだよ……」 「人は自然に育つんだから……器用とか……そういうんじゃ――」 側で聞いていた泰孝が、彼らの頓珍漢さに耐えられなくなったらしく吹き出し、笑い始めた。竣平もつられて笑った。 竣平は笑いながら、この連中、感覚が人とは全く違ってて得体が知れないんじゃないかと警戒してたけど……ばかばかしくなってきちゃったな、と考えた――そして気づいた。カエデが、彼らにならいつ食べられてもいい、と話していた事――それはカエデの考え方が妖怪じみているからではなく、この三人にカエデがそれだけの深い愛情を抱いているからだったのだ――自身の全てを与えてもかまわないと、そう思えるほどに。それはこの妖怪達がこれまで、カエデを慈しみ、愛し育んで来たからで――さらには自分たちの血肉を削り与えてまで、カエデを生かすと決めたから―― そうか、と竣平は思った。大切な相手を深く愛する……それは人が自然に持つ感情だ。そしてその感情はきっとこの妖怪達にも――だったら、もう彼らを、恐ろしいなんて感じる必要はない。 買った服を手提げに入れてくれるレジの女性を眺めながら、やぎが感心したように呟いた。 「あの紙こうやって使うんだな――もっと早くカエデに色々とっかえてきてやりゃ良かった。カエデは知ってたろう?なんで言わなかったの」 「だって、別に、なにもいらなかったから」 「でもさあ――そしたらカエデにもっと美味いもの喰わせてやれたのに。こういうのとかさ」 そう言うくまは今度はたこ焼きを食べている。カエデはそれを見ながら微笑んで答えた。 「みんなが獲って来てくれる物、充分美味しいもの」 その会話を聞きながら泰孝は思った――欲の無い子だ。楽な生活をしてきたわけじゃないんだろうに――だがこの三人に可愛がられて、この子はそれで充分満足しているのだろう。 その後はレストランで食事をした。三人はメニューの写真に驚き、その通りに盛り付けて出された食事に感嘆し――小さい子のように何にでも珍しそうに反応するので竣平は面白く思った。カエデも楽しそうに皆の様子を眺めている。 泰孝がカエデに尋ねた。 「あとはどこ行こうか。なにか欲しいものは?」 「あのう、じゃあ、本屋さんに行っていいですか?」 「本、好きなの?」 竣平が訊くとカエデは頷いた。 「好きなんだけど、あまり読んだことないから……もっといっぱい読んでみたくて」 本屋へ入った時、参考書コーナーを目にした泰孝は、思いついてやぎに尋ねた。 「カエデくん、学校はどうするの?あと、退院した後住むとこは――?神社に寝泊りでは不便なんじゃないかい?」 「それ、気になってたんですよ。学校って、坊ちゃん毎日行ってるんでしょ?お嬢さんも。きっといいとこなんですよね?カエデ、前行ってた時楽しかったって言ってたし――また学校行けるでしょうか――?」 やぎが訊く。 「いいとこかなあ――」 にやにやしながらそう呟いた竣平を泰孝は、こら、と軽く小突いてからカエデに尋ねた。 「歳から言ったら――高校生?カエデくん、いくつ?」 「17です」 「そうすると、高校2年?」 「高校は行かせてもらえなかったので……中学出たあとすぐ働いたんです」 「そうだったの――でも、一年遅らせて始めたらいいんじゃないかな?おじさんが手続きとか調べておいてあげる」 「え――」 カエデは目を見開いた。 「高校――?僕にも……行けるかな?」 その瞳の輝きを見て、そうだよなあ、と竣平は思った。高校、カエデが行きたいのなら行けるといいけどな。 「行けるよ、きっと」 竣平はカエデを励ますように頷きながら言った。 「そしたら俺と一緒の学校にしてよ。カエデが来たらきっと楽しいよ」 「へえ~……なんだか知らないけど、坊ちゃんと一緒なら安心だわな……」 とんびが言って、伸びをした。

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