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第19話
「あ、これ……」
ある日の休み時間、竣平は机の中に入れっぱなしになっていた紙片を見つけた。
教科書やノートに押し込まれてしわくちゃに丸まっていたそれを引っ張り出して開くと、『かまいたち』と書いてある。それを見直した竣平は、ふと思い当たって同じ列の一番後の席に座る瑞生に向かって声をかけた。
「なあ、瑞生、ちょっと……」
「なに?」
側に来た瑞生に、峻平は紙片を見せた。
「これさ、ひょっとしておまえの字じゃない?じいちゃんちで勉強してッときノート見たから思ったんだけど」
「あ、ああ……うん、そう……」
瑞生は紙を受け取りながら、きまり悪そうにして答えた。
「竣平が入谷なんかとミステリーだって話してるのが聞こえて……でもあの頃は話しかけづらかったからこれ書いて……気味悪かったろ?ごめんな」
「いいさ」
「な?なに?だれか呼んだ?」
竣平の後ろの席で居眠りしていた入谷が目を覚まして叫んだ。
「いや別に。入谷のやつ、随分気持ちよさそうに寝てるなー、って」
瑞生が笑って答えた。入谷が苦笑する。
「へっ!?あ、あはは。いや~教室が一番良く眠れんだよね、俺」
「なにしに来てんだか……」
峻平も笑った。
「あ、そうそう、卯月って、ドコに住んでんの?」
入谷が席にいるカエデに尋ねた。カエデは皆に、卯月カエデと自己紹介していた。
「ええと……今は、仮住まいで……もうすぐ引っ越すって聞いたんだけど、まだどこか知らないんだよね……」
「知らないの?」
竣平が不思議に思って訊くとカエデは頷いた。
「みんなが学校にも近い良い場所あったって言うんだけど……片付くまで内緒なんだって。終わったら見せてくれるって」
「内緒かあ……驚かせたいのかな。どこだろうな」
その日の帰り、竣平は暇だったのでカエデと一緒に診療所まで行くことにした。カエデは今、二ツ山という所にある神社で寝泊まりさせてもらっているそうだ。そこは少し遠いのでくまかやぎが送り迎えしており、診療所で待ち合わせているのだった。
竣平は歩きながら、訊きたかった事をカエデに尋ねてみた。
「カエデは……なんでウチの診療所に来たの?二ツ山からだったら市立病院の方が近いよな?この町に来た事あって知ってたとか?」
「ううん……そうじゃなかったんだけど」
カエデは首を横に振り――これまでの事情を竣平に語り始めた。
隠れ里のおばあさんに託されてから――幼いカエデは毎日庭に座ってじっと山を見つめ、妖怪達が自分を迎えに来るのをひたすら待っていた。もう彼らに会えないとは全く思っていなかった。
おばあさんはカエデに、眠る前になると煎じ薬を与えた。それは果物の汁や砂糖が混ぜられ、甘くて美味しかったから、カエデはおばあさんが薬をくれるのを楽しみにするようになった――しかし、やがて気づいた。それを飲むとぼうっとした不思議な気持ちになって――自分を可愛がってくれた妖怪達の事が、眠っている間に見た夢の中の出来事だったように感じられてきてしまうのだ。
それはカエデを不安にさせた。あの三人がただの夢とはカエデは思いたくなかったからだ。しかし薬は毎日与えられ、妖怪達も迎えには来ない――
やがてその不安が段々と薄れてきた。起きている間は妖怪達の事を忘れている時間が多くなり、山を見つめて彼らを待つ事もしなくなった――だがカエデは、その頃からこっそりと、与えられた煎じ薬を飲まずに隠すようになっていた。椀が空になっていればおばあさんは怪しまない。元々、甘い薬を飲むのを楽しみにしていたカエデが、まさかわからないよう始末していたとは夢にも思わなかっただろう。
そうして途中でおばあさんの薬を飲むのを止めたため、妖怪達の記憶は完全には消えず、カエデの心に残され続ける事になった。それは、彼らと会えないのを嘆き悲しむほど強い記憶ではもうなかったが、寂しさという感情に形を変え――カエデの胸の奥に沈んで、そこにじっとわだかまった。
やがて山男がやってきて、カエデを人里の大きな街へと連れて行った。
その街でカエデは施設に渡され、後はいくつかの預け先を転々とした。幼い頃の山の記憶はその間に普通に薄れたが、それでも変わった育ち方をした影響がどこかしらに出てしまうのか、カエデはなかなか人の社会に溶け込むことができず、おかしな子だと気味悪がられたりもした。結局養子にしてくれるような家庭も見つからなくて、中学を終えてすぐ、寮付きの建設会社で作業員として働くことになった。
カエデは常に胸の奥にある喪失感に苛まれ、孤独から逃れることができずにいた。知り合いが増えてもその寂しさは消せない。しかしそれがなぜなのか、理由を自覚することはできなかった。
そうしてある時、高所作業の最中に、安全装置の不具合でカエデは足場から転落した。その一瞬に――それまでの記憶が一気にカエデの頭の中に蘇った。幼すぎて覚えているはずのない事まで。
山で自死した父親の事、自分を拾って育てた優しい妖怪たち。彼らが採ってきてくれて一緒に食べたやまぶどうの味。そしてカエデは、自分がなぜ人の暮らしに馴染めず、ずっと寂しいままなのかを理解した――
なんとか命をとりとめ、折った骨が治ってから――カエデは妖怪たちの棲む山に行こうと決心し、仕事を辞めて出発した。あの山に戻るのだ。たとえそこがどんなに遠くても。
自分はもう人里にはいられない。山の中で死んでしまってもいい、彼らに会いたい。それがカエデをずっと苦しめてきた寂しさを癒やす事のできる唯一の方法とわかったから。
山男が自分を預けていった福祉施設を訪ね、そこから記憶を呼び起こして山道を辿り、カエデは隠れ里のおばあさんの所まで辿り着いた。不思議なことに老婆はあの頃の姿のままで元気にしていた。おばあさんは、命が危ないから妖怪達の所へは戻っちゃだめだと止めたが、カエデの覚悟を知ると説得は諦め、食べ物を持たせて送り出してくれた。
しかし山は深く、隠れ里より奥には山道すら無い。方角もはっきり覚えていないままのカエデが妖怪達の棲み家を見つけるのは非常に困難で、何日も歩き回ることになってしまった。その間に食料は尽き、カエデは木の根を齧り岩清水を啜り、折れた枝を杖にしてそれにすがりながら山中を進んだ――体がいくら弱ってもかまわないと思っていた。最後彼らに会えさえすれば。
やがて見覚えのある沢に出た。妖怪達がよくカエデを水浴びに連れてきた沢だった――ここからの道なら覚えている、もうすぐ彼らに会える。喜びが溢れた時、背後から何ものかに襲われ、カエデは重症を負った。それはカエデを育てたのとは違う妖怪だった。ここでこいつなどに喰われるわけには行かない――カエデは必死にその妖怪から逃れ、無我夢中で懐かしい妖怪達の棲み家に辿り着いた――
「――襲われた時の怪我は血肉をもらって治ったんだ……でもそれまで僕が無茶して壊した体の分は、人間のお医者さんの作る薬じゃなきゃ治せないってわかって。最初は二ツ山の近くで病院を探したけど、神保先生の所に、山神様を祀った神棚があるのをとんちゃんが見つけてきて、それで……」
「神棚?」
そういえば診察室の隅に、祖父が祀った小さな神棚がしつらえられてある。そうだ、診療所を開いた時、祖父はあそこを護ってくれるよう奥山という所にある神社の大神様にお願いしに行ったのだ。小さな頃に話を聞いた――峻平は思い出した。
「うん。だから皆が、山神様をお祀りしてるここの先生なら信頼できる、って言って……それで僕を連れてきてくれたんだ」
「ふう~ん……そうか……山神様か……」
竣平はそれまで神仏など意識した事もなかったのだが……神様のおかげでカエデたちと知り合えたのだから、今度からはあそこに手を合わせるくらいしないとな、などと考えた。
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