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第12話 罪音(12)

 本日の業務を終えて、二人がマンションに戻ってきたのは夕方だった。リビングでは、まだ立つことの出来ない女児がラグの上でハイハイしていて、それをまひるが手も出さずに見ていた。 「おかえりなさい。お夕飯、まだ用意してないんだけど……何か食べたいものある?」 「たまには俺が作るから。まひるはそこにいてくれ」 「ええっ!?」  心底びっくりした声を上げたまひるに、壱流は少し嫌そうな顔をする。 「いいだろ。買い物してきた」 「い……いいけど、何作る気? 壱流料理出来たっけ?」 「カレー。食材切って、煮込んでルーぶち込むだけだろ」 「雑ね……まあいいけど」  これまで壱流がキッチンに立つ姿などほとんど見たことのなかったまひるは、大丈夫だろうかと不安な視線を向けたが、とりあえずやりたいようにさせることにした。  たまには夫らしいこともしてくれるのだなと、自然に笑みが漏れる。 「ねえねえ入江くん、壱流今日なんかあった?」  竜司は手伝わないようだ。その代わりと言ってはなんだが、ハイハイしていたまふゆが突っ立っていた竜司にタッチしたので、抱き上げてやる。そのままリビングに置かれたソファに腰を降ろす。 「なんか? まー、三味線小僧と歌い方について激論してたな。なかなかに見ものだった。あとでビデオ見てみたら?」 「あぁ、例の新人くん。激論て……なにそれ」 「意外と小僧の方も自己主張が激しい奴で、壱流もまた引かないもんだから、……最初は取り入れればいいみたいなこと言ってたのに、好みが食い違ったりして、まあ、とにかく面白かった。俺は何度もギター弾かされて、ちょっと辟易だけどよ」  困ったように笑って、小さなまふゆに「なー、おまえのパパは、わけわかんねえな」とか同意を求めている。 「多分まふゆは、どっちがパパなのか、わかってないと思うよ」 「えー、そうかあ? でも壱流似だよな、やっぱ。性格は似ないでくれよー。気まぐれな猫は一匹で充分」 「……まあね」  おかしそうに返したまひるは、キッチンの壱流に目をやる。包丁が危なっかしいなー、なんて思うのは思うが、口出しはしない。 「なあ、まひるさん。もし俺が壱流残して先に死んだら、あとのケア、ちゃんとよろしくなー」  壱流に聞こえないように、竜司は声のボリュームを絞って縁起でもないことを言い出した。 「いきなり何言ってんの……?」 「んー、まあ。俺も出来れば平均寿命全うしたいけどよ。やっぱ普通とは違うんだろうし、死なないにしても、頭のネジがほんとにどっか行っちまうことだって、今後あるかもしれない」  別になんでもないことのような竜司の顔。けれどその内容に、まひるの表情は翳る。 「ま、それ言ったら壱流もかなり普通じゃねえけどよ……」 「ん……まあね……それに関してはほんと、うん、としか言えないけど」 「俺らは普通の、人並みの幸せ? って言っていいのかな……そういう人生を手放して、今ここにいる、みたいなとこあるじゃん。勿論俺が頭かち割る前に、戻れるわけもないんだけど……戻れたならって、思うよ」  そんなことがなければ、壱流も手首に沢山の傷を作ったりしなくても良かった。心を病んだりしなかった。  今日は珍しく、壱流はとても楽しそうに見えた。  あんな壱流を見たのは本当に久し振りだと思った。勿論竜司が忘れているだけという可能性もあるが、とりあえずここ数ヶ月のうちに、今日みたいな壱流を見たことはなかった。  自分たちの音楽は、罪の上に成り立っている。  記憶を失い、それが原因で壱流の心を壊したこと。けれどそれがなかったら、もしかしたら自分たちは、今ここにいることはないのかもしれないとさえ思う。  大切なものを失った報酬が、現在の自分たちだ。 (ザイオンとはよく言ったもんだ……罪音、ね)  そういう意味でつけたわけではなかったが、たまにそう表現されるのを、竜司はネットの検索で目にしたことがあった。 「竜司、ちょっと味見してくれ」  しばらくして、キッチンから壱流がこちらに声をかけたので、竜司は立ち上がり、小さなまふゆをまひるの手に返した。 「まひるさん、今夜は壱流、誠心誠意ご奉仕するって言ってたぜ」 「……それはそれは楽しみですね。入江くんも混ざる?」  ふざけたように言った竜司に対し、まひるも同じようにふざけて返した。 「3Pはまた今度な」  軽く言って、竜司はキッチンに足を向けた。  雑に作ったカレーの良い匂いが、ほんのりと漂ってきていた。

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