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物は言いよう

「親父に連れられて行ったんですけど、正直、あんまり気乗りしてなかったんです。でも、あの壇上にあなたが出てきた時、考えが変わりました」  こちらの気も知らず、結城は眼を輝かせて話し続けた。憧れの人から直接教えを乞えると思って、期待に胸をふくらませているのだろう。 「あのスピーチの内容は、私が考えたものではない。部長の体調が思わしくなかったので、私が代理を務めただけだ」 「内容じゃありません。この人は、他の誰とも違うって……あなたがあの場所に立った時、そう思ったんです。俺とそんなに変わらない歳なのに、一人だけスポットライトが当たってるみたいに、きらきらして見えました。カリスマ性のある人って、こうなんだって思いましたよ」  嫌味か、と篠宮は少々ひねくれた気持ちで考えた。人目を惹きつける華やかさなら、誰が見ても結城のほうに軍配が上がるではないか。こんなことなら、自分もあの時インフルエンザにかかっていれば良かった。あのとき代理の話を引き受けさえしなければ、伝説のなんとかなどと恥ずかしい呼称を付けられることもなく、こんな部下の面倒を押しつけられることもなく、平穏な人生を送っていられただろう。 「俺……それまで、目標にしたい人っていなかったんです。大学でもテキトーやってたし、将来の夢も別になかった。でもあの時あなたを見て、俺もあんな風に仕事できたらいいなって思ったんです」 「実際に顔を合わせたら、イメージと違ってがっかりしたんじゃないか」 「とんでもない! ますます惚れました。クールで落ち着いてて」  結城は熱っぽい口調で語った。  ただの勘違いだと言ったところで、もはや聞き入れはしないだろう。寄せらせた過度な期待を、篠宮は諦めて受け流すことにした。一緒に仕事していくうちに、だんだんと夢も醒めていくに違いない。  クールで落ち着いている。口数が少なく若々しさに欠けるだけなのだが、物は言いようだ。 「……今日は初日だし、外回りは明日からにしよう。まずはここに座って、営業部の雰囲気に慣れてもらいたい」  机の一番下の引き出しを開けて、篠宮は中から紙束を取り出した。英文が、比較的細かい字で七、八枚にわたって印刷されている。来週あたり、時間を作って済ませようと思っていた仕事だ。 「この文章を和訳してほしいんだが。できそうか」  書類を渡すと、結城はびっしりと並んだアルファベットに眼を走らせた。 「……大丈夫だと思います」 「企画部に資料として提出したいんだ。できれば今日中にお願いしたい」  探るように、篠宮はちらりと結城に眼を向けた。英語圏に十年以上住んでいて、日本語もここまで流暢なら楽にできるレベルだろう。特に急いでいる仕事ではないが、彼の実力がどの程度のものか確認しておかなければならない。 「解りました」 「申し訳ないが、私はこれからミーティングに出席しないといけないんだ。その間、君はここで作業をしていてくれないか。昼前までには戻る」  翻訳する上での注意点をいくつか述べ、なにかあったら天野係長に訊くようにと言い添える。少し心配ではあったが、会議を終え戻ってみると、結城は真面目に机に向かって作業を続けていた。 「あ、篠宮主任。今ちょうど終わったとこです。どうでしょうか?」  結城がパソコンの画面を指し示す。あまり期待はしていなかったものの、篠宮は言われるままに文面をたどった。  思いの他よくできている。一箇所か二箇所を、よりビジネスにふさわしい表現に直すだけで、そのまま提出できそうだ。 「……どうだね、新人くんの働きぶりは」  機嫌の良さそうな顔をしながら、部長が近づいてくる。そういえば、昼食を一緒にとる約束をしていた。そのことを思い出しながら篠宮は振り返った。 「そうですね。資料の和訳をお願いしたのですが、私が思っていたより速く済んで、言い回しも適切なので感心しました。これなら即戦力として活躍してもらえそうです」  特にどうという感情もないまま、篠宮はとりあえず適当に結城を褒めておいた。コネによる入社だろうがなんだろうが、まともに働いてさえくれればそれでいい。早いとこ一人前に育て上げて、さっさと厄介払いしてしまおう。そんな投げやりな考えが一瞬頭をよぎり、篠宮は心の内が顔に出ないよう丁寧に表情を取り繕った。 「さ、昼は何を食べに行こうか。私がご馳走するぞ」  鷹揚に構えながら、部長が気前の良いところを見せる。  この人もしたたかだな、と篠宮は心の隅で考えた。ただの新入社員という触れ込みで入ってきた結城が、実は社長の息子であることを知っている人間は数少ない。部長はその数少ない中の一人だ。  すぐ身近に社長の子がいるとなれば、仲良くしておいて損はない。今の立場を利用して、さらに出世の階段を駆け上がろうというわけだろう。自分には『媚びたりするようでは話にならない』などと釘を刺していたくせに、よくもこんな事が言えたものだ。  もっとも、だからこそ営業部長という、他の部署と較べると別格に年収の高い部長の地位におさまることができたのかもしれない。なんのかのと言っても、この部長は大勢の営業部員ををまとめていく力があり、篠宮はその点は尊敬していた。

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