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最高機密

 幼い頃から、年に似合わず老成していると言われ続け、自分でもそうだという自覚はある。だが、他人との差をこんなに如実に感じさせられたのは初めてだった。たった二つしか違わないはずなのに、眼の前の彼とは一回り以上歳が離れているような気さえする。  こんなふうに活力に満ちあふれて、自分の力を試してみたいと意欲に燃えている時代が、自分にはあったのだろうか。  ……否、と心の声が告げた。  人生にこれといって目的もなく、恋に身を焦がすこともなく、ただ流されるまま学歴だけは積み重ねて今ここにいる。別にそれで良いと思っていたはずなのに、自分とは対照的な彼の姿を見ると、我知らず心が揺れ動いた。 「判らないことがあったらすぐ訊けるよう、席も隣にしておいたからな。じゃあ篠宮くん、後は任せたぞ。昼は私と一緒に、三人で食事に行こうじゃないか」  部長がそれだけ言い置いて行ってしまうと、結城は顔色をうかがうように上目遣いで篠宮を見上げた。 「あの……えっと、篠宮主任。俺の父親がどうとか……そこらへんの話って、ご存知なんですよね」 「部長からおおまかなところは聞いている」  篠宮は声を低めた。今の自分にとって、この男が社長の息子であるということは、絶対に秘すべき最高機密だ。他の人に悟られるわけにはいかない。 「だからといって贔屓したり、手心を加えるつもりはない。この会社の一員として、責任はきちんと果たしてもらいたい」 「……良かった。俺のほうからもそうお願いしようと思ってたんです。そんなことで気を遣われたり特別扱いされるの、嫌だから」  スーツを脱いで普段着に着替えれば、まだまだあと二、三年は学生として通りそうなその男は、存外にしっかりとしたまともな受け答えをした。 「殊勝な心がけだな。その件は、部長からも内密にと言われている。君も公平を求めるのであれば、皆には黙っていてくれ」 「はい。もちろん、そのつもりでいます」 「よろしく」  篠宮は右手を差し出した。握手は目上の者から求めるのが普通だ。いかに彼が社長の息子といえども、自分のほうが上司であるということをさりげなく知らせておかなければならない。 「こちらこそ、よろしくお願いします」  結城は腕を伸ばし、手のひらをしっかりと握ってきた。年齢に相応(ふさわ)しい、しなやかで力強い手だ。 「あの。俺、判らないことだらけなんで。ご迷惑をおかけするかもしれませんが、一生懸命がんばります」 「誰でも最初は判らない事ばかりなんだ。(あせ)らないで、ひとつずつ覚えていけばいい」  顔立ちのせいか話しかたのせいか、自分は初対面の人から近寄りがたいと思われる傾向がある。そう思った篠宮は、新人を気遣う言葉をかけて(ふところ)の深いところを見せた。 「はい、ありがとうございます」 「……海外には何年くらい居たんだ」 「カナダに四年、イギリスに二年、アメリカに六年くらいです。でも十歳まではずっと日本に居て、その後もちょこちょこ日本には帰ってきてたから、やっぱり日本語のほうが得意です」 「そうか」  話をしながら、篠宮はどこか違和感を覚えて首を傾げた。伸ばした右腕の先が、やけにふんわりと暖かい。  怪訝(けげん)に思い、篠宮は握手をしている手を見下ろした。自分の右手が、結城の両手で大事そうに包まれている。宝物でも護るようなその手つきに、篠宮は困惑した。 「……両手で握手するのはマナー違反だぞ」 「え?」  結城は驚いた様子で手を見た。どうやら自分でも気づいていなかったようだ。 「あっ、えっと、済みません! なんか、すべすべして触り心地良かったんで、つい」  名残惜しそうに結城は手を離した。  最後に軽く一撫でされたように感じたが、篠宮はそれをすべて気のせいで片付けた。触り心地がいいなどと言われても、嬉しくもなんともない。 「篠宮主任って、背高いですね。何センチあるんですか?」  済みませんと謝ったものの、大して悪かったとも思っていないらしい。小首を傾げ、結城は人懐っこく微笑みかけてきた。飼い主に甘える仔犬のような顔。自分には一生できないような表情だ。 「なっ……!」  なんで君にそんなことを教えなくちゃならないんだ。そう喉元まで出かかった言葉を、篠宮はどうにかこらえて胸の奥に飲み込んだ。これもコミュニケーションの一環だ。初日から印象を悪くしたくはない。  きっと自分は今、苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。そう思いながら、篠宮は低い声で呟いた。 「百八十四だ」 「あー、惜しい。一センチ負けた!」  頭に手を当て、結城は愉快そうに笑った。良く言えば明るく親しみやすい、悪く言えば馴れ馴れしくて軽薄な印象だ。 「あの。実は俺、前から篠宮さんに憧れてたんです」 「前から? ……私はそんなに有名人じゃないぞ」 「三月にロスで、食品関連の企業が集まるコンベンションがあったじゃないですか。この会社から出たの、篠宮さんですよね。あれ、俺も見てたんです」  彼の言葉を聞いて、篠宮は肩を落とした。またあの話か。例の『伝説のなんとか』だ。

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