14 / 396

ちょうどいい機会

「彼は、その……冗談が過ぎるというか……」  しばらくためらった末に、篠宮はそう理由を述べた。ただの軽口だと解ってはいるが、あんなに大声で好きだの愛してるだのと言われたのでは、居心地が悪くて仕方ない。それは事実だ。 「あー、例の熱烈ラブコールのこと? 結婚申し込まれたって本当なの?」 「申し込まれてません! あんなのは、ただの悪ふざけです!」  篠宮は、彼らしくもなく声を荒らげた。初めて言葉を交わしたその日に『結婚を前提に……』などと言われても、真に受ける者などいないだろう。  冗談も休み休み言ってほしい。あの時のことを思い出すと、改めて怒りが湧き上がってきた。 「誹謗中傷とか暴言なら注意もするけど、大好きで尊敬してますって言ってるだけよ。それで担当変えてくれってのは、ちょっと心が狭すぎだと思うわ」  係長は気乗りのしない様子で返事をした。  仕方ない。彼女が言っているのは正論だ。普通なら、光栄に思って喜びこそすれ、文句を言う筋合いのものではないだろう。だから自分は困っているのだ。 「し、しかし……セクハラでは?」 「キモいオヤジが言ったら、そりゃセクハラかもしれないけどね。でも言うのはあの結城くんよ? なんならみんなにアンケート取ってごらんなさいよ。むしろ言われたいって人しか居ないと思うわよ」 「それはそうかもしれませんが……」 「あんなに懐いてて、可愛いじゃない。お嫁さんにしてあげたら?」 「かっ、係長までそんなたちの悪い冗談を!」  篠宮は悲痛な声で叫んだ。いくら自分に相手が居なくても、彼を妻に(めと)ろうと思うほど落ちぶれてはいない。 「まあたしかに、結城くんはどっからどう見ても男性だけどね。愛にはいろんな形があるのよ。偏見は良くないと思うわ」 「そういう問題じゃありません! 彼と私では、性格がまったく合わないんです」 「そうかなあ。あたしの眼にはこれ以上ないってくらい、相性ぴったりに見えるけど」  不意に表情を変え、彼女は真剣な顔で彼のほうに向き直った。 「篠宮くん。ちょうどいい機会だから言っておくわ」  いつになく改まった口調に、篠宮は何事かと思って身構えた。肩にかかったポニーテールをさらりと後ろに流し、係長が言葉を続ける。 「彼、いかにもモテそうな顔してるじゃない。背も高いし、話しやすいし、清潔感があって持ち物のセンスもいいし。そんな人が近くにいたら、女性社員の結束が揺らぐのよ。解るでしょ?」 「それは……まあ……」 「結城くんが入社して、そろそろ一か月半経つわよね。それなのに、波風立たず穏やかでいられるのはどうしてだと思う? 結城くんがあなた以外眼中になくて、ずっと好き好き言い続けてるからなのよ」  係長の説明には納得せざるを得なかった。たしかに、同性の眼から見ても結城に魅力があることは判る。ホストクラブに勤めたら、その日のうちにナンバーワンになれそうな男だ。女性たちの間で取り合いになり、水面下で激しくしのぎを削り合うのが目に見えている。 「それに加えて、男性陣のほうはどうかしら。いくら社内恋愛禁止とはいっても、日々仕事していく上で潤いは必要よ。うちの会社の綺麗どころが、全員結城くんだけ見てきゃーきゃー言ってたらどう思う? まあ、良い気はしないでしょうね」  それもそうだ。結城が女性たちに眼もくれないから、男性陣は意中の女性を彼に取られる心配もなく、安心して業務に打ち込んでいられる。だが、果たして結城はそこまで考えているのだろうか。そう思うと首を傾げざるを得ない。  天野係長は腰に手を当て胸を反らした。スレンダーな体型のせいか、女性というよりも利発な少年のような雰囲気だ。 「ねえ篠宮主任。『大の虫を生かして小の虫を殺す』という言葉があるわ」 「はあ……」 「あなたの尊い犠牲のおかげで、みんなが丸く収まってるの。ここはひとつ、覚悟を決めて人柱になってちょうだいな」  かくして。篠宮がなんとかして聞き入れてもらおうと心に温めていた願いは、見事に却下されてしまった。 「あ、そうそう。話は変わるんだけどね」  落ち込んでいる篠宮には構わず、彼女はさらに話を続けた。 「来月予定されてる、工場見学のバスツアーがあるでしょ。聞くところによると、日本で事業展開してる、海外のお客さまが多めらしいのよね。あなた、海外のお客さまにウケがいいから。ここでまとめて売り込めれば大きいわよ。今度、ティアレのマスカット味が出るでしょ。今あそこの工場で生産してるのは桃とメロンだけど、マスカットもそこになる予定なの。枠を一時間ねじ込んどいたから、あれを宣伝してきてくれない? 結城くんと二人で」 「……彼とですか?」  突然言い渡された業務命令に、篠宮は空一面に暗雲が立ち込めるような思いがした。教育係を外れるどころか、余計にろくでもない話が舞い込んできてしまった。 「教育係なんだから当然でしょ。結城くんには、あなたと並んでうちの稼ぎ頭になってもらうべく期待してんのよ。あの顔でたらしこんだら、大抵の女性客は落ちるでしょ。彼のルックスを最大限に活かして、ばんばん契約を取ってきてもらいたいの! そりゃあもう、凄腕のホストのようにね!」  ……女は怖い。それがこの日の午後、篠宮がもっとも強く感じた思いだった。

ともだちにシェアしよう!