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【こんなにも鮮やかな世界】
空になったパスタの容器をレジ袋に放り込み、食後の茶を飲みながら、篠宮はほうっと息をついた。
あの出張から一週間が経った。いろいろとありはしたが、結城とは、表面上は今までと変わりなく接している。
……表面上は。そこまで考えて篠宮は眉をしかめた。
結城はともかく自分のほうは、表面を取り繕えているとは言い難い。自分の彼に対する今の態度は、明らかに不自然だった。
妙に意識してしまう……とでもいうのだろうか。今日の朝など、マウスの上で彼と手が重なっただけで、あり得ないほど動揺し、思いきり払いのけてしまった。
手が触れただけで心乱れるなんて、今どき中学生でもそこまで初心 じゃないだろう。それを思うと、後から思い返しても赤面してしまうほどで、しまいには天野係長に『熱でもあんの?』と訊かれる始末だ。
「篠宮さーん」
コーヒーの入ったカップを片手に、元凶がやってきた。他に席は空いているというのに、当然のように自分の隣に来て腰をおろす。
食事が終わるとここへ来て、篠宮の横顔を見ながら残りの休憩時間を過ごすのが結城の習慣だった。出張から帰るなりその習慣を変えてしまったら、周りの人間は、二人の間に何かあったのかもしれないと疑うだろう。疑われたくないのであれば、なるべく以前と同じように振る舞うことだ。結城の行動は正しい。それは解っている。
変わらない結城の姿をひとめ見てから、篠宮は無遠慮に眼を背けた。
以前と同じようにできないのは自分のほうだ。隣の席までの距離が変わるはずはないのに、こんなに近かっただろうかと今さらのように思う。結城がそばに寄るだけで、吐息さえ触れるような気がして思わず身を引いてしまうのだ。
自分でも解らない複雑な思いを抱えて、篠宮は嘆息した。
あんな目にあわされて、彼に嫌悪感を覚えたというのならまだ理解できる。だが、そうではないのだ。
嫌いなら見捨ててしまえば良かった。あのとき決めたとおり、自分は別の部署に移動し、結城とは二度と顔を合わせなければ良かったのだ。それが叶わないなら、会社を辞めるという選択肢もある。それで彼がどう感じようと自分の知ったことではない。自業自得ではないか。
彼を嫌いになったわけではない。だが彼に惹かれているのかと言われると、それも違うような気がする。いくら想いが募ったからといって、無理やり相手を縛り上げて手に入れるような、そんな子どもっぽい男を好きになどなるわけがない。
もし自分が同性を好きになるとしたら。たぶんもっと年上で、落ち着いて思慮深い、大人の男性ではないかと思う。あんな風に自分の想いをぶつけるしか能のない、考えの浅い男を選ぶわけがないではないか。
部長から教育係の話を聞いたあの日、あの時に戻りたいと篠宮は思った。もし今の自分のままあの時に戻れるとしたら、たとえ部長の心証が悪くなろうとも、頑として話を断っていただろう。
篠宮がなにを考えているかも知らず、結城はカフェオレを飲み干すと、いつものように自分の腕を枕にしてテーブルに頭をのせた。
このまま午後の仕事が始まるまでうとうとと微睡 むのが、普段の彼の日課だ。だが今日は違っていた。
「……あの、篠宮さん。俺、来週から篠宮さんにお弁当作ってきてもいいですか?」
篠宮の前にあるレジ袋を見ながら、結城がまた訳の解らないことを言い始めた。
「は?」
「篠宮さん、いつもコンビニとかで買ってきてますよね。でも、やっぱり手作りのほうが健康にもいいと思うんですよ。だから、俺が作ってきてもいいですか?」
……その言葉を理解するまでに数秒かかった。いや。脳が理解することを拒否していたというべきだろうか。
「いいわけないだろう!」
「えー。どうしてですか?」
「君にそんなことをしてもらう理由がない」
「俺のほうにはありますよ。俺、篠宮さんのこと大好きだもん。篠宮さんのためなら、なんでもしてあげたいって思ってます」
これからも君と一緒に仕事をしていきたい。あの時そう言った自分の言葉を、篠宮は今になって取り消したい気分になった。
あんな事をした後なのだから、もう少し遠慮というものがあっても良いではないか。揺らがないにも程がある。だいたいこいつは、好きだとか愛してるだとか、そんな台詞 を簡単に言い過ぎだ。そんな事だから、信憑性がなくなるのだ。
「……とにかく御免こうむる。だいたい、君に料理なんてできるのか?」
「できますって。俺、料理はけっこう得意なんですよ」
今まで生活に不自由なく暮らしてきたお坊ちゃんに、いったい何ができるというのか。篠宮が疑わしそうな眼を向けると、結城は不満げな顔で抗議した。
「嘘だと思うなら、いちど食べに来てくださいよ。 男の一人暮らしだけど、引っ越したばっかりだから、まだ綺麗ですよ。なんなら今日にでも遊びに来てください。ご馳走しますから」
拗ねたような表情で、結城がそんな事を言いだす。どう答えたものか篠宮は迷った。
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