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責めてるわけじゃない

 そのうちにな。普通ならそう軽く返すところだろう。だが、そんな自分の態度がいけなかったのだろうかと篠宮は考えた。ここで冗談ごとにしてしまったのが、すべての間違いの元なのかもしれない。  好きも愛してるも、家に来てほしいも、結城にとってはきっとただの軽口ではない。きちんと受け止めて、嫌なら嫌とはっきり言わなければならないのだ。勝手に冗談だと決めつけて、相手にしていなかったせいで、自分は今こんな窮地に陥っている。 「あの……篠宮さん。やっぱり、俺のこと避けてますか?」  周りに誰もいないのを確認してから、結城は篠宮の顔色をうかがった。彼がそう感じるのも当然だろう。この一週間というもの、自分は眼を背けたり手を振り払ったり、そんな事ばかりしている。 「避けてない」  篠宮は短く言い放った。今までどおり一緒に仕事をしていこうと言ったのは自分のほうだ。自分からした約束を反故(ほご)にはしたくない。 「避けてますよ。今朝だって、ちょっと指が触っただけですごい嫌がって……そりゃあ、悪いのは全面的に俺のほうですよ。篠宮さんに冷たくされて寂しいだなんて、そんなこと言えた義理じゃないのも分かってます。でも……」 「嫌がってない」  やや乱暴に、篠宮は結城の言葉をさえぎった。いったいどう説明すれば、今の気持ちを彼に解ってもらえるというのか。 「別に、あの時のことを責めてるわけじゃないんだ。ただ……」 「ただ?」  説明を続けようとして、篠宮は言葉に詰まった。この気まずい気持ちをどう処理していいか分からない。結城はさっさと気持ちを切り替えて、以前と変わらない自分を演じているようだが、こちらはそこまで器用ではないのだ。  決して不快に思っているわけではないのに、彼と肩が近づいただけで、指先が触れただけで気が動転してしまう。これでは、結城が避けられていると感じるのも無理はない。  あの時の事を責めているわけじゃない。そう信じてもらうためにはどうしたらいいのか。 「……その……さっきの話は、本気で言っていたのか?」  篠宮はおもむろに言葉を続けた。 「え? さっきの話? なんでしたっけ」 「君の料理の腕前の話だ。嘘だと思うなら、いちど食べに来いという……」 「ああ、あの話ですか? もちろん本気ですよ。篠宮さんさえよければ、いつでも来てくれてかまいません」  結城がきっぱりと言い切る。その返事を聞き、篠宮は小さな声で言葉を続けた。 「……今日は、仕事が終わった後は予定もないし……その……行ってもいい」 「え!」  がたっと音を立てて、結城が椅子から立ち上がった。 「え。ほんとに? 本当に来てくれるの?」 「……迷惑だろうか」 「迷惑なわけないです! 嬉しいです!」  小躍りせんばかりに喜んだかと思うと、結城は急に立ち止まり、困ったような顔を見せた。 「でも……あの。篠宮さんと二人きりになったら……俺、自分でも何するか判んないんですけど」 「それは経験済みだから知っている」  篠宮は静かに答えた。  結城が自分に性的な欲望を抱いているということは、もう解りすぎるほど解っている。だが自分と結城は、体格も腕力も同じくらいだ。あの時だって薬を盛られさえしなければ、あんな風に組み敷かれることはなかった。  自分はか弱い女性ではない。嫌なら抵抗することだってできる。結城だって、同じことを繰り返すほど浅はかではないだろう。 「あのとき君は言ったな。いくら謝っても、許されることではないと……だが、許すか許さないかは私が決める事だ。たしかに君の行動は短絡的だったかもしれない。しかし上司として、君があそこまで思い詰めていると気づいてやれなかった、私のほうにも落ち度はある。君ばかりを責めるのは間違っていると思う。だから……本当に許しているのだということを解ってほしいんだ。嫌いで避けている奴の家に、わざわざ行くわけはないだろう。仲直りの印だと思ってくれればいい」  途中で気持ちがくじけてしまわないよう、篠宮は勢いをつけて最後まで話を続けた。これで結城も、あの出来事によるわだかまりを捨てることができるだろう。 「篠宮さん……」  一瞬だけ探るような眼を向けてから、結城は有無を言わせぬ口調で確約を求めてきた。 「約束ですよ、篠宮さん! 後になって、やっぱり気が変わったとかナシですからね!」 「ああ。約束する」 「……絶対ですよ」  篠宮はうなずいた。これで誤解が解けて今後の仕事が円滑に進むのならば、週末の時間を部下のために少し割くぐらい大したことはない。 「うそ……篠宮さんが、俺の家に……」  結城は鼓動を抑えるように胸に手を当てた。そのまま、そわそわと落ち着かない様子で身悶えする。 「どうしよう。俺もう、午後は仕事になんないよ」 「馬鹿。仕事しろ」  呆れた声で言い放ち、篠宮は営業部へ戻るために立ち上がった。

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