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甲斐甲斐しい新妻
「あ、篠宮さん。こっちこっち」
篠宮が一時間の残業を終えて駅に向かうと、結城は約束通りショーウィンドウの前で待っていた。
空はもう真っ暗だが、街はクリスマスのイルミネーションで明るく彩られている。金曜の夜だからだろうか。仕事帰りらしい人たちが、連れだって買い物や食事を楽しむ姿がいつもより多く見られた。
「馬鹿、手なんか振るな。目立つだろう。会社の人間に見られたらどうするんだ」
ただでさえ人目を引くのに。篠宮はそう思って苦い顔をしたが、結城はまったく気にしていない。
「いいじゃないですか。俺と篠宮さんが待ち合わせしてたら、なんか問題あるんですか?」
手に提げた大きな買い物袋を持ち直しながら、結城は心底嬉しそうに笑った。中には人参やらじゃがいもやらがぎゅうぎゅうに詰め込んである。
「へへー。待ってる間に買い物済ませたんです」
「この辺りにスーパーなんてあるのか」
「ありますよー。ちょっと高いですけどね。でも篠宮さんのためだから、奮発しちゃいました」
目尻を下げて、結城が幸せそうな笑みを見せる。
篠宮は呆れて眉を寄せた。自分のようなつまらない男と一緒にいて、何が楽しいのか。毎度のようにそう思うが、深く追求するのも面倒なのでとりあえず受け流すことにする。
「……重そうだな。家の近くで買ったほうが良かったんじゃないか」
「嫌ですよ。一緒に買い物するのも夫婦みたいでいいかもしれないけど、今日は駄目です。篠宮さんと二人きりでいられる時間が減るじゃないですか。そんなことより。篠宮さん、苦手な食べ物とかアレルギーとかありますか?」
「特にないな」
「じゃあ、特に買い足す物はないかな。さ、早く行きましょう」
家に着くまで待ちきれない様子で、結城は先に立って歩き始めた。
「ここです」
エレベーターから降りて自室の前まで来ると、結城は扉を大きく開けて篠宮に先に入るよう促した。
失礼にならない程度に、篠宮は周りをそっと見回した。ときどき忘れかけるが、結城は社長の息子なのだ。どうせ庶民には手の届かない超高層マンションなのだろうと思っていたが、意外にも、特にどうということもない普通のマンションである。結城の言ったとおり、越してきて間もないためか部屋は綺麗に片付いていた。
篠宮を居間のソファーに座らせ、結城はそそくさと台所に向かった。グラスに氷を入れる音がからからと響いたかと思うと、すぐにカクテルらしき物を運んでくる。
ライムが添えてあるところを見ると、おそらくジントニックかジンライムだろう。篠宮が以前、好きだと言ったのを覚えていたらしい。
「これ飲んで待っててください。三十分くらいでできると思います。あ、テレビ観ますか?」
「そうだな。たまに見てみるか」
「どうぞどうぞ」
篠宮の望みに従って、結城がいそいそとリモコンを持ってくる。甲斐甲斐しい新妻のようだ。腕まくりをして青いデニムのエプロンをつけた姿は、ちょっと可愛いと言えなくもない。
お嫁さんにしてあげたら。以前に天野係長が言っていた言葉が胸をよぎり、慌てて頭を振って打ち消す。
とりあえずテレビをつけてみたが、大して面白い番組もない。ニュースを見終わって電源をオフにしたところで、食欲をそそる香りが漂ってきたことに気がついた。
篠宮は台所のほうに顔を向けた。出来上がった料理を、結城が皿に移しているところだ。
器用だな、と篠宮は心の奥底で感心した。自分など、買ってきた弁当をレンジで温めることすら覚束ない有様で、コンビニのバイトだけは一生涯できないだろうと思っているくらいだ。
「はい、できましたよ」
結城がテーブルの上に皿を並べ始める。豚肉の生姜焼きと温野菜のサラダ。豆腐の味噌汁に、油揚げと蕪の炒め煮。栄養的にも申し分のない食事だ。
「……美味しい」
一口食べて、篠宮は素直に感想を述べた。優しくてほっとする味だ。いわゆるお袋の味と呼ばれるものは味わった事がないが、きっとこういうのを家庭的な味というのだろう。
思えば今まで、食べ物の味になどあまり頓着したことがない。とりあえず空腹を満たして、極端に栄養が偏らなければそれでいい。そう思っていたのだ。
結城の作った料理を食べ、篠宮は初めて料理というものに感銘を受けた。人の心を動かすほどに美味しい物というのは、たしかに存在するらしい。なぜ世間に飲食店があふれ、人々が美食を求めて殺到するのか、篠宮はようやく理解した。
「でしょでしょ? どうです、惚れました? 結婚してくれる気になりました?」
「なるわけないだろう」
わざとらしく身を乗り出す結城を見て、篠宮は眉ををひそめた。実のところ一ミリほど心が動いたが、生姜焼きひとつで懐柔されたのでは余りにも安すぎる。
「ちぇー。じゃあ、お弁当の件は?」
「それも駄目だ。君に弁当を作ってもらってるなんて知れたら、周りから何を言われるか分かったもんじゃない」
「もー。恥ずかしがり屋さんだな、篠宮さんは。あ、俺ちょっとコーヒー淹れてきますね」
怒鳴られそうなタイミングになると、結城は素早く台所に逃げた。
完全にからかわれている。そう気づいたが、結城が幸せそのものといった顔でコーヒーを持ってくるのを見ると、文句を言う気も失せてしまった。
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