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人気上昇中

「でも結城。おまえ、よくこの仕事イヤになんないなあ。この前なんか、朝来てから帰るまで、ほぼ怒られてたじゃんか。まあ仕方ないけどな……仕事放ったらかして、あれだけ篠宮主任に見惚れてたら」 「失礼だなあ佐々木さん! たまには仕事もしてますよ」  声高に叫ぶ結城の言葉を聞き、篠宮は頭を抱えた。仕事『も』とはどういうことだ。 「それに俺、篠宮さんに馬鹿って言われるのけっこう好きなんです。だって篠宮さんがそんなこと言うの、俺に対してだけだもん」 「ほら。これはもう、完全に脳の病気だろ」  呆れたような顔で、佐々木が女性陣のほうを見る。一人がそれに答えて、にっこりと笑顔を見せた。 「でも篠宮主任、結城さんが来てから雰囲気変わりましたよね。なんか、表情が柔らかくなったっていうか……いま社内の女子の間で、じわじわ人気上昇中なんですよ」 「ちょ、ちょっとちょっと! 篠宮さんはダメ! 俺のなんだから!」  人気上昇中と聞いて血相を変えた結城が、いきなり間に割って入った。 「大丈夫よお。結城さんって番犬がいるかぎり、篠宮主任にちょっかい出す人なんていないから」  結城のうろたえぶりを見て、みんなが笑い声を立てる。笑えないのは篠宮ただ一人だ。 「おっと……やべえ、もう十二分だ。急がないと」  時計を見た佐々木が、焦った声で呟く。それを聞いて周りの皆も我に返った。気がつけば、営業部のほとんどの社員が姿を消している。 「いってらっしゃい!」 「佐々木さん! しっかり見てきてね!」  女性たちの声を背に、篠宮たちは歩を早めて会議室へ向かっていった。  朝礼の内容は、おおむね係長から聞いたとおりのものだった。  新しく入社する人物は、歳こそまだ二十八ではあるが、海外で様々なイベントや販促の企画を手がけていたという話だ。しかもそのどれもが、大きな成功を収めているという。 「みなさん、初めまして。このたび経営戦略部に配属になりました、エリック・ウォルター・ガードナーと申します。若輩者ではありますが、どうぞよろしくお願いします」  鳴り物入りのその青年が、前に立って挨拶を始めた。細い、それでいて力強さを感じさせるしなやかな身体つき。亜麻色の髪に端正な顔立ち。まるで、俳優……正統派のハリウッド俳優のようだ。  日本語は流暢で、最近の日本の若者よりも、よほど優れた語彙力を持っている。だが篠宮の心に引っかかったのは、彼の能力でも、容姿が優れていることでもなく、別の何かだった。 「いやー、マジでカッコよかったですね。しかも、あの若さでいきなり部長補佐ですよ? 顔はいいし背も高いし……なんで経営学なんてやってたんでしょう? モデルか俳優にでもなれば良かったのに」  朝礼が終わったあと、廊下を歩きながら佐々木は興奮したように言った。 「えー。あんなの、篠宮さんと較べたら月とスッポンですよ!」 「そりゃあ篠宮主任もカッコいいけどさ。なんつーか、ジャンルが違うじゃん?」  なにやら言い合っている結城と佐々木をよそに、篠宮はひとり考えこんでいた。それに気がついた結城が声をかけてくる。 「篠宮さん。どうしたんですか、黙りこんじゃって? まさかあんな奴のこと、カッコいいなんて思ったわけじゃないですよね? ひどい! 篠宮さんの浮気者!」 「いや……なんというか、その……」  意味の解らない言葉は適当に受け流し、篠宮は考えをめぐらせた。エリック・ウォルター・ガードナー。その名前に聞き覚えがある。彼は、たしか……。 「マサユミ!」  背後から呼び止められ、篠宮は振り向いた。共に行動していた二人も、つられて足を止める。  後ろに立っていたのは、先ほど前に出て挨拶したあの青年だった。近くで見ると、エメラルドを思わせるその瞳が、整った風貌にさらに魅力を加えることが判る。 「ひどいなあ。ぼくのこと忘れちゃったの? マサユミ」  親しげに、彼は篠宮に向かって笑いかけた。その亜麻色の髪とエメラルドの瞳が、学生時代の記憶を呼び覚ます。 「エリック……? あの、大学の時の……」 「そうだよ! 覚えててくれたんだね。嬉しいよ」  心をとろかすような笑みを浮かべ、エリックは篠宮の手を固く握り締めた。

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