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一秒でも早く逢いたい
今年は、クリスマス合わせで納品する物はなかったような気がするが……会社に着いたらもういちど確認しておこう。篠宮が頭の中でそこまで考えた時だった。
「篠宮さん。おはようございます」
隣から聞き慣れた声がした。
結城だ。彼の家は路線が違うから、同じ電車ではなかったと思うが、たまたま近い時間に駅に着いたのだろう。
「早いな。いつも始業ぎりぎりなのに」
「急いで出てきたんです。今日は特に、篠宮さんと一秒でも早く逢いたいと思って」
眼を細めて笑い、結城は篠宮と肩を並べた。
「ずいぶんとご機嫌だな」
「そりゃそうですよ。今日は、あいつが会社に来ませんからね」
「そうなのか?」
あいつというのが誰なのか、聞かなくても判る。先日入社したガードナー氏のことだろう。篠宮に色目を使うという理由で、結城は彼のことを毛嫌いしている。たしかに、ただの知り合い以上の好意を持たれていることは、篠宮もなんとなく肌で感じ取っていた。
「なんかのイベントの打ち合わせだとかで、直行直帰らしいです。昨日、企画部の田辺さんに聞きました」
「いつも思うんだが、彼女たちはそういう情報をどこで仕入れてきているんだ」
「さあ……たぶん俺たちには想像できないような、独自のネットワークがあるんでしょうね」
そんな他愛ない話をしながら、二人で会社に向かっていく。ビルの入り口近くまで来たところで、結城が急に立ち止まった。
「……篠宮さん。ちょっとこっち来て」
エントランスの前まで来ると、彼は篠宮を、少し離れた花壇の所まで連れて行った。
会社の敷地内には、従業員がくつろげるよう、生垣で囲った中に芝生やベンチが配置してある。昼間は日当たりが良く、ここで昼食をとる者も多くいるが、今は日陰になっていてただ寒いだけだ。出入り口はひとつしかないので、通り抜ける者もいない。
「あの。俺、篠宮さんにプレゼントがあるんです」
結城は鞄から小さな包みを取り出した。大きさは手のひらに載るくらいで、高級そうな包装紙に金色のリボンがかけてある。
「本当ならイヴの夜にあげるべきなんだけど。すぐ使ってほしいから、先に渡しちゃいます。開けてみてください」
結城がなにかを期待するような目つきで見つめてくる。礼を言うことも忘れて、篠宮は求められるままに包装紙を外した。
小さく平べったい箱を開けると、薄葉紙に包まれた何かが出てくる。小銭入れか……もしくはキーケースのようだ。
「中……見てください」
結城がさらに言葉を続ける。言われたとおり、篠宮はスナップボタンを外した。
中には鍵がひとつ入っていた。
「……俺の部屋の合鍵です。いつでも来てくださいね。篠宮さんなら大歓迎です。自分の家だと思ってくれてかまいませんから」
秘密めかした口調で結城が囁く。頰に血が昇ってくるような気がして、篠宮は眼をそらした。
「私のほうは……プレゼントなんて、用意していないぞ」
「いいんです。篠宮さんが、俺にプレゼントをあげたいと思ったら……その時に、ください。篠宮さんにそう思ってもらえるよう、俺、頑張ります」
結城が力強くこぶしを握り締める。
「私に認められたいのであれば、もう少し仕事を頑張ってくれ」
「ああ、それはまあ……善処します。でも篠宮さん。俺、真面目にやればちゃんとできるんですよ?」
「それを知ってるから言ってるんだ」
篠宮は苦笑いしながら呟いた。本来なら自分などよりも、結城のほうがはるかに営業に向いているのだ。それは常日頃から思っていることだった。
「ねえ篠宮さん。明日クリスマスイヴじゃないですか。夜、一緒にごはん食べに行こ? まあ、俺が作る飯のほうが美味いに決まってるけど。たまには、いつもと違った雰囲気味わうのもいいでしょ?」
「……分かった。明日は残業にならないよう、今から調整しておく」
「明日は、他のみんなも早く帰ると思いますよー。なんたって、金曜日でクリスマスイヴだもん」
結城はすでに浮かれた様子で声を弾ませている。この調子だと、今日の仕事ぶりも期待できそうにない。
「そろそろ時間だ。行くぞ」
貰ったキーケースを鞄に入れ、篠宮は踵を返して歩き始めた。
「あ。待って、篠宮さん」
すぐ後ろに、結城が影のように付き従う。ガラスの扉を抜けてホールに入ると、向こうから見知った人間が歩いてくるのが見えた。
「あれ……係長?」
持ち前の視力で、結城はいち早く天野係長の姿を認めた。ベージュ色のトレンチコートをきっちりと着込み、右手にはキャリーケースを引いている。
「あれ、天野係長。出張ですか?」
「そうなのよー。昨日の夜に電話がかかってきて、急に頼まれたの。でも、明日の昼過ぎには戻るわ。ちょっと片付けなきゃいけない仕事があったから、先に会社に寄ったのよ」
そう言うと係長は、なにか企んでいる様子で篠宮の顔を見上げた。
「篠宮くん。悪いんだけど、あたしが戻るまで係長代理引き受けてくれない? ……っていうか引き受けて。一課のみんなにメールしといたから。よく分かんないこととか面倒くさいことは、ぜんぶ篠宮くんに言ってねって」
「あはは。天野係長。それ、事後承諾って言うんですよー」
結城が愉快そうに笑った。その屈託のない明るい表情に、天野係長も自然と笑顔になる。
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