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世界一愛してる

「結城くん、朝からご機嫌じゃない。クリスマスプレゼントに、篠宮くんの写真でももらったの?」 「えっ……?」  結城が眼を見開き、次の瞬間、嬉しそうに手を打った。 「係長、ナイスです! うわ、なんで今まで気づかなかったんだろ? ねえ篠宮さん、写真撮っていいですか? いやもう撮らせてください。撮ります!」  その場で撮りかねない結城の様子を見て、篠宮は顔を覆った。 「馬鹿、撮るな!」 「頑張ってね結城くん。健闘を祈るわ」  無責任にひらひらと手を振り、係長が去っていく。その後ろ姿を、篠宮は恨めしげに見つめた。 「ねえねえ篠宮さん。撮らせてくださいよ。お願いします!」  階段に逃げこむ篠宮を、結城が声をあげながら追いかけていく。踊り場まで来ると、篠宮はいったん立ち止まった。 「待ってくれ。私の写真なんて、何に使うんだ」 「何にって……ほら、スマホの待ち受け画面とか」 「とか?」 「後はまあ……逢えなくて寂しい時は、そういう用途に使うこともあるかもしれませんけど」 「絶対にやめてくれ」  結城に写真なんて渡したら、何に使われるか分かったものではない。断固拒否しなければ。 「おはようございまーす」  同じ部署の佐々木が階段を上りながら挨拶してきた。 「あれ結城。また朝から絡んでんの? たまには仕事しないと、いいかげん見捨てられるぞ」 「佐々木くん、もっと言ってやってくれ」  言いながら、上へ向かう階段へ少しずつにじり寄る。 「あ、待ってよ篠宮さん!」  結城の声を背に、篠宮は残りの階段を駆け上がっていった。  翌日のクリスマスイヴ。篠宮は約束どおり定時に仕事を終わらせ、十八時過ぎには結城と揃ってタイムカードを押した。係長代理を押し付けられてどうなることかと思っていたが、特に何もなく無事に終わったことに安堵する。 「えへへー。篠宮さんとデートぉ」  篠宮と二人で食事に行けることがよほど嬉しいのか、結城はすでに頰の筋肉が緩みきっている。 「今から行くとこ、フレンチのお店なんですけど。いかにも高級店って雰囲気ではなくて、カジュアルな感じでけっこう美味しいんですよ。きっと、気に入ってもらえると思います」  待ちきれない様子で、結城が先に立って階段を降りていく。その笑みが、踊り場で折り返したところで急に凍りついた。  不審に思い、篠宮は手すりに手をついて階段の下を覗き込んだ。コートを着込み、洒落たチェックのマフラーを巻いた人物が立っている。  亜麻色の髪を見て、すぐにそれが誰なのか判った。エリックだ。  どうするべきか、篠宮は判断に迷った。無視して通り過ぎることはできない。かといって、今から引き返して別の階段を使うのも、あからさまに避けているようで感じが悪い。  くちびるを引き結んで、結城は顔を上げた。どうやら、強行突破する方向で覚悟を決めたらしい。 「……お疲れさまでした」  挨拶の声だけをかけ、足早に通り過ぎようとする。エリックが口を開いたのはその時だった。 「待ってたんだよ、マサユミ。そろそろ仕事が終わる頃かと思ってね」  結城の存在など完全に無視して、エリックは親しげに篠宮に話しかけてきた。 「もし予定がないなら、この後ぼくと食事に行かない?」 「……あのさあ……」  いいかげん腹に据えかねた様子で、結城は前に足を踏み出した。決闘も辞さない勢いだ。 「喧嘩売ってんの? 篠宮さんはこれから俺とデートなの。あんたなんかと食事に行くわけないだろ」 「選ぶ権利はマサユミにあるだろう? 選択肢は多いほうが良いと思うな」  エリックが、相変わらず小馬鹿にしたような顔で結城を見据える。少しでも歩み寄ろうという気は、まったくもって皆無らしい。 「残念でした。篠宮さんを世界一愛してるのは俺だから、俺に権利があるんです。行こ、篠宮さん」  口早に言い切って、結城は篠宮の腕を引いた。  うまく取りなすこともできないまま、篠宮は促されるまま仕方なく歩き始めた。こういう時、天野係長ならどう対応するのだろう。機転のきく彼女の頭脳が、今は羨ましかった。 「……ん?」  三、四歩進んだところで、結城は急に立ち止まった。ポケットに入っているらしき携帯電話が、立て続けに何度か鳴ったからだ。 「なんだよ。迷惑メールかな? ブロックするよう設定してたはずだけど……」  コートの内ポケットから電話を取り出し、結城が画面を操作する。そこに表示された文字を追ううちに、彼は眉をひそめ、しだいに深刻な表情になっていった。 「……ごめん篠宮さん。ちょっと一本電話してもいい?」  ひとこと断りを入れ、結城はすぐに電話をかけ始めた。 「……ああ、俺。メール見たんだけど。マジか、池袋って?」  結城がなぜ、メールを見てあのような顔をしていたのか。その理由が気にはなったが、他人の電話に聞き耳を立てるのも気が引ける。柱のそばの観葉植物を見つめ、篠宮は素知らぬふりをした。 「あのなあ。今それどころじゃないって。今日、なんの日だと思ってるんだよ。俺にだって予定ってものがあるんだからな……」  話しながら、結城はホールを横切って外へ出ていった。電波の調子が良くないらしい。

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