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抱き締められそうな距離
肌は滑らかで、何よりも濃い緑の瞳がその顔に華やかさを添えている。美しい、と言ってもいい。まるでおとぎ話に出てくる白馬の王子様のようだ。女性ならきっと、この眼で見つめられたら天にも昇る心地になってしまうだろう。それなのに、こんなに嫌悪感を覚えるのはなぜなのだろうか。
「ユウキとは、身体の関係はあるの?」
エリックが不意にそう尋ねてきた。
「そっ、そんなこと、あなたに教える必要は……!」
「セックスはしてるんだ? どう、彼? 上手なの?」
焦る篠宮の姿を面白そうに眺めながら、エリックはカウンターに肘をついて笑みを浮かべた。あまりにも明け透けな質問に、篠宮は声を詰まらせた。
「そんなにうろたえちゃって。可愛いね。たしかに、ユウキが夢中になるのも解るな」
そう言って、エリックがハイボールのグラスを手に取る。篠宮は当初の目的を思い出した。今日ここへ来たのは、私生活について質問攻めにされるためではないのだ。
「結城のキャンセルの理由を聞かせてください。そういう約束でした」
「ああ、そうだね。まあ……百聞は一見にしかず、かな」
エリックは鞄からタブレットを取り出した。電源を入れ、画面が篠宮にも見えるようにする。音量は絞ってあるようで、雑踏のようなざわざわとした音だけが微かに聞こえた。
駅の出口を外から撮った動画のようだ。上のほうに小さく、池袋駅という文字が見える。そういえば結城が電話の際、池袋がどうのと言っていたことを篠宮は思い出した。
かなりの人混みだったが、行き交う人々の間から、待ち合わせをしているとおぼしき男女が何人か見える。三十秒ほど見ていると、構内から長身の男が姿を現した。
すらりとした体型に、遠目でも判る華やかな雰囲気。画面が少しズームになり、顔がはっきりと映った。結城に間違いない。
柱のそばに立ち、結城は辺りをきょろきょろと見まわしていた。誰かを探しているようだ。そのうちに目的の人物を見つけたのか、笑顔で手を振り始める。
誰と待ち合わせをしているのだろう。そう思っているうちに、白いコートを着た女性が小走りに駆け寄ってきた。同じく白い、耳当てのついたニットの帽子をかぶっている。華奢で可愛らしい印象だ。真っ直ぐな長い黒髪は、背のなかばで綺麗に切り揃えられている。
歳は結城と同じくらい……いや、もっと若い。十代にも見える。
おたがいに引き寄せ合うようにして、二人は出逢った。腕を伸ばしたらすぐに抱き締められそうな距離にまで近づき、楽しそうに話し始める。誰が見ても恋人同士の待ち合わせだ。
彼女の肩に軽く手を触れながら、画面の中の結城は通りの先を指差した。そのまま、どこかへ向かって歩きだす。映像はそこで終わっていた。
「よく撮れてるでしょ?」
思わずうつむいた篠宮の顔を、エリックは下から覗きこんだ。
「ちょっと甘いのが飲みたいな。アプリコットフィズでも頼もうか。マサユミは何か飲む?」
「マティーニを……」
震える声で篠宮はそう注文した。
シェーカーを振る小気味良いはずの音が、心の上っ面だけを滑っていく。強い酒を立て続けに飲んでも、いっこうに酔いは回ってこなかった。グラスに伸ばした指先は血の気が引いて、恐ろしいほど冷たくなっている。
結城が、自分の知らないところで女性と逢っている。ただそれだけの事で、こんなにショックを受けるとは思っていなかった。
「知り合いに興信所の職員がいてね。金は出すって言ったら、すぐ引き受けてくれたよ。卑怯な手ではあるけど、これも君とお近づきになりたかったからなんだ。笑って許してほしいな」
篠宮は歯を食いしばった。とても笑う気になどなれない。だがそれは、エリックが隠し撮りという卑劣な手段を使ったからではなかった。
「彼女、キュートだね。ユウキとお似合いだと思わない?」
先程の動画の中にいた彼女を、篠宮は胸の痛みと共に思い出した。たしかに似合いだ。自分などよりも、遥かに。
「君という人がいながら、他の女性とデートだなんて。ユウキは気が多いのかな? 君はこんなに魅力的なのに……」
「やめてください。私など、特に取り柄もない、つまらない人間です」
「謙遜も度が過ぎるのは良くないよ、マサユミ。君は君自身の魅力にもう少し気づいたほうがいい。われわれ欧米人からすると、その切れ長の瞳や綺麗な黒髪は、すごくミステリアスで素敵に見えるよ」
頬杖をついて、エリックは篠宮の顔を好色そうな眼差しで見つめた。
「マサユミ。君、ベッドで豹変するタイプじゃない? 感じやすいほうでしょう? そのスーツを脱がせて思いきり可愛がったら、どんな顔を見せてくれるのか……興味があるな」
グラスの底に残ったカクテルを、エリックは一息に飲み干した。篠宮が注文したマティーニの杯は、もう空になっている。
「君、強いねえ。酔わせてどうにかしようと思ってたんだけど、無理みたいだ。だから、単刀直入に言わせてもらうよ。この上に、スイートを取ってあるんだけど。どうかな?」
猫撫で声といってもいいほどの、甘く優しい声でエリックが囁きかける。
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