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いま感じているこの思い

「え? じゃあ……明日は?」 「それは……分からない」 「嫌ですよ、明日から休みなのに。好きな人と一緒に過ごせないなんて」  様子がおかしいと気づいたのか、結城は篠宮の顔を捉えると、無理やり視線を合わせて瞳の中を覗きこんだ。 「篠宮さん、先週末からちょっと変ですよ。電話しても素っ気なかったし……あの時は体調が悪いだけだと思ってスルーしたけど、もしかして、俺がイヴの約束破ったの怒ってますか?」  篠宮はくちびるを噛んだ。怒っているわけではないのだ。食事の約束が取りやめになっただけで気を悪くするほど、自分は浅はかではない。  怒っているわけではない。ただ……と、そこまで考えて篠宮は睫毛を伏せた。寂しさと悲しみの入り混じったような今の感情を、どう説明すればいいのか。自分ですら、いま感じているこの思いに名前をつけられずにいるというのに。 「俺から誘ったのに急に予定変えたりして、悪かったと思ってます。だから、こうやって埋め合わせしたじゃありませんか。嫌でした? 楽しくなかったですか? 俺にどこか悪い所があるなら、言ってください。直します。篠宮さんに好きになってもらうためなら、俺、なんでもするつもりでいるんですから」 「そういうわけでは……」  窮地に陥り、篠宮は後ずさった。そんな彼を逃すまいとするように、結城が強引に篠宮の手首を握る。 「……来て」  そう短く告げ、結城は篠宮の腕を思いきり引っ張った。篠宮が人目を気にして声を出せないのをいいことに、明るい表通りを横切り、路地を抜けて裏通りへと進んでいく。  人影もまばらな場所まで来ると、結城は不意に立ち止まって篠宮と眼を合わせた。 「篠宮さん。もういちど聞きます。俺、あなたに嫌われるようなことしましたか? それとも、俺の知らない所で何かあったんですか? 篠宮さん、先週末からなんか変です。いつもの篠宮さんじゃない」  たたみかけるように結城が詰問する。こらえきれずに、篠宮は手で顔を隠した。結城の眼は真っ直ぐすぎる。見つめ返すことなど、不可能だ。 「私は別に、何も……」 「そうやっていつまでもはぐらかすなら、いいです。身体に聞いてみますから」  篠宮の背中に手を当て、結城は彼を道の端へ追いやった。  そのままぴったりと背後に付きながら、近くにあった建物の門をくぐろうとする。篠宮はそのとき初めて、自分が今どこにいるのか気がついた。  道の両脇に、建物がずらっと並んでいる。レンガ造りのもの、ギリシャの神殿風のもの、派手なネオンで飾ってあるもの。すべてがばらばらだ。その下品な統一性のなさが、あるひとつのことを連想させた。  いま自分たちが入ろうとしている建物を、篠宮はまじまじと見つめた。表のプレートに『ご休憩』『ご宿泊』の文字がある。紛れもなく、ある目的を持って使われる所だ。 「こんな所、男同士で入れるわけないだろう」  篠宮が驚いて足を引く。それを許すまいとするように、結城は篠宮のコートの背を掴んでさらに強く前へ押し出した。 「入れますよ。入りましょう」 「しかし……」 「ラブホの前で男と押し問答してるなんて、会社の人に見られたらどうするんですか」  結城にそう言われて、篠宮は黙りこんだ。たしかにここで騒ぎ立てるのは得策ではない。どこで誰が見ているか分からないのだ。  結城を相手に、今さら守らなければならない身体でもない。背中を押され、篠宮はおとなしく建物の門をくぐった。  建物の中は、一見したところ無人だった。  空いている部屋のボタンを押し、料金を入れ、自動で鍵を受け取る。エレベーターを使って、鍵に記された番号の部屋まで行く。他の客と鉢合わせすることはあるかもしれないが、基本的に従業員とは顔を合わせない。そういうシステムになっているらしい。  部屋に入ったらいきなり押し倒されるくらいのことは覚悟していたが、結城は意外にも冷静だった。 「篠宮さん。ここに座って」  落ち着いて扉に鍵をかけると、結城は篠宮をベッドの端に座らせた。 「さあ話してください。俺、なんかしました?」  両膝を床につき、結城が押し頂くように篠宮の手を取る。眼の前でひざまずく結城を見ながら、篠宮は困惑して眉を寄せた。  結城が自分との約束をキャンセルし、女性と逢っていた……突き詰めれば、ただそれだけの事だ。  だからどうしたと言われたら、反論のしようがない。他の人と二人で過ごさないでほしい。そんなことを言う権利が、自分にあるとでもいうのだろうか。 「判らない……判んないよ」  篠宮の眼を穴が空くほど見つめてから、結城は悲しそうに首を横に振った。 「なんで……? いつもなら、顔を見ればすぐ判るのに。篠宮さんの考えてることが、判らない。こんなに……こんなに愛してるのに」  人懐っこい犬を思わせるその瞳が、涙で潤み始める。彼が感じているであろう歯がゆく悔しい思いを、篠宮はまるで自分のことのように苦痛に感じた。駄目だ。彼にこんな顔をさせてはいけない。 「イヴの夜……君は、知り合いに会ったと言ったな」  深く息を吐いて気持ちを落ち着けてから、篠宮は静かに話し始めた。

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