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一緒に初詣
昨夜寝る前に、結城から電話がかかってきたことを篠宮は思い出した。
彼は相変わらずだった。愛しているという言葉をシャワーのように浴びせ、逢いたい逢いたいと繰り返し呟く。少し酔っているようだったので、篠宮は早く寝ろと言って無理やり話を終わらせてしまった。
だが今になって、もう少し他に言いようがあったのではないかとためらわれる。薄情だと思われなかっただろうか。つまらない男だと思われなかっただろうか。いくら彼の身体を気遣って出た言葉とはいえ、もっと気の利いた言いかたが他にあったに違いないのだ。
結城がどうして、あんな風に恥ずかしげもなく愛を囁くことができるのか、篠宮はいまだに理解できずにいた。日本人であることは間違いないが、中身はきっとラテン系なのだろう。そもそも外見からして、マタドールの衣装が似合いそうな感じだ。あの金糸の刺繍が入った派手な服を着て、縁飾りの付いた帽子を斜にかぶったら、さらに女性ファンが増えるに違いない。
そんなことを考えているうちに、時計の針が十時を指した。ようやく空腹感を覚えて、篠宮は立ち上がった。
冷蔵庫を覗いてみたものの、腹の足しになるような物がなにも入っていない。仕方なく、篠宮はコートをまとって部屋を出た。このマンションは一階がコンビニになっているので、自炊する習慣のない篠宮は比較的よく利用している。元日は短縮営業だが、この時間なら開いているはずだ。
コンビニは意外に混雑していた。自分と同じく、手軽に食事を済ませたい人間が多く来ているのだろう。
飲料の棚を見ると、自社で出しているフルーツティーが置いてあった。この紅茶には少しばかり思い入れがある。しばらく迷ってから、篠宮はそれを買い物かごに入れた。
後は、特にこれといって食べたい物もない。並んだ中から適当に眼についたものを買うと、篠宮は自分の部屋へと戻った。
買ってきた物を、とりあえずテーブルの上に広げる。空腹ではあるものの、いざ食べようと思うとやはり食欲が起きない。
一人で食べる食事は味気ないものだと、篠宮は初めて気づいた。話上手な結城は、食卓でも豊富な話題を披露してくれて、退屈する暇など少しもなかったのだ。彼と出逢ってまだ三か月だというのに、彼のせいで、食事というものに対する篠宮の意識はすべて塗り替えられてしまった。
彼のことを思うとなぜか食欲が出なかったが、なにも食べずにいるわけにもいかない。買ってきたサンドイッチの半分ほどをどうにか胃袋に詰め込み、残りは冷蔵庫に突っ込んだ。
……不意に電話が鳴った。画面に結城の名が表示されている。
篠宮は急いで電話を手に取った。彼と話をすると思っただけで胸が高鳴り、肩の辺りに緊張が走る。安心するような、不安なような、不思議な気持ちだった。
『あ、篠宮さん。明けましておめでとうございます』
電話の向こうから彼の声がした。外から掛けているのか、周りからざわざわとした音が聞こえてくる。
「ああ」
いつもと変わらず無愛想に返事をしてしまってから、篠宮は慌てて考え直した。新年の挨拶なのだから、きちんとするべきだ。
「……明けましておめでとう」
言い慣れていないせいか、やや声が小さくなってしまう。結城はまったく気にしていない様子で、今年もよろしくと明るい声で付け加えた。
「初詣は終わったのか」
『それは終わりました。ええと、なに神社だったっけな……赤坂にある、大きな神社でお参りしてきました。この後、近くのホテルでメシ食って解散らしいです。だから、あと一時間半くらいはかかるかな。今、御守り買ってきたいって言って、ちょっと抜けてきたんですよ。どうしても篠宮さんの声が聞きたくなって』
以前に雑誌か何かで見た記事を、篠宮は思い出した。赤坂にある大きな神社といえば、商売繁盛のご利益があることで有名な所だ。
「混んでるんじゃないか」
『まあ元日ですからね。ものすごく混んでます。ここ、縁結びでも有名なとこらしいですよ。親父と兄貴はたぶん社運安泰を祈ってたんだろうけど、俺はこっそり恋愛成就をお願いしちゃいました』
そう言うと、結城はえへへ、と締まらない笑い声を上げた。
『聞いてくださいよ篠宮さん。俺、新年のお参りだからって、袴まで履かせられてるんですよ。もう窮屈で窮屈で。しかもこれ、着て帰って家で練習しろとか言うんですよ! 日本人なんだから、着物の着方くらい覚えろって』
「いいじゃないか。覚えておいて損はない」
『そうですか? もう、紐が多くて面倒くさいです。なんで着物が廃れて洋服が普及したのか、解る気がしてきました』
結城はうんざりした口調でそうぼやいた。苦笑している顔が眼に見えるようだ。
『ねえ篠宮さん。俺のほうの用事が済んだら、一緒に初詣に行きませんか? 冬とは思えないくらい、あったかくて良い天気ですよ』
「私はどちらでもかまわないが……君は疲れてるだろう」
『篠宮さんとお出かけできたら、疲れなんて吹っ飛びますよ。着物なんでちょっと歩きづらいですけど、少し慣れたから転びはしないと思います』
それを聞いて、篠宮は結城の着物姿を想像した。男性が袴をつけたら、足元はたぶん足袋に草履だろうから、たしかにいつもとは勝手が違うはずだ。
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