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七五三みたい
「そんなに窮屈なら脱いだらどうだ。一人じゃ手洗いにも行けないんじゃないか」
『あー、トイレは大丈夫です。袴っていっても、なんていうか……スカート? みたいになってるやつだから。それに、洋服は家に置いてきちゃったから、取りに帰るのも面倒なんですよね。後で宅急便かなんかで送ってもらうつもりです。せっかく着たんだから、今日はこのまま行きますよ。俺の袴姿みたら、篠宮さん、俺のことちょっと好きになってくれるかもしれないし』
結城は何やら一人で呟いている。篠宮は時計を見た。十二時を少し回ったところだ。このまま家でくすぶっていても仕方ないし、新年に相応しい好天の中、彼と初詣に出かけるのも悪くない。
篠宮は記憶をたどった。赤坂のあの辺りの神社なら、海外の顧客を接待したときに行った覚えがある。
「いま赤坂にいるなら、そう遠くない所に、仕事運のご利益があるという神社がある。十四時に、霞ケ関の駅まで来てくれないか。改札は出ずに、そのまま構内で待っていてほしい。もし遅れたり、逆に早くなりすぎるようなら連絡してくれ」
『分かりました。えへへ、どこに連れてってくれるんですかー? 楽しみだな』
電話越しでも分かるほど浮かれた声で、結城はそう返事をした。
新年といえども、和装の男性などそうそうは居ない。ただでさえ目立つ結城の姿は、遠くからでもすぐに見つけることができた。
あえて気づかれないように、篠宮は後ろからそっと彼に近づいた。
濃い紫の御召しに袴をつけた結城が、人待ち顔で地下鉄のホームに立っている。茶色がかった長めの髪に着物の組み合わせが、時代劇の型破りな主人公を連想させた。暑いのか、羽織は脱いで片腕に掛けている。
「……待たせたな」
背後から、篠宮は静かに声をかけた。振り返った結城が、驚いた様子で眼を見開く。
「篠宮さん、その格好……!」
結城の顔に予想どおりの表情を見て、篠宮は微かに笑みを浮かべた。
「そんなに驚くことはないだろう。私だって、着物の二、三枚くらいは持っている」
そう言って、篠宮は自分の姿を見下ろした。紺色の紬に同じ素材の羽織、そして結城と同じく袴をつけた姿だ。単なる街着にしては少しばかり仰々しいが、結城と並ぶとよく釣り合いがとれて、一幅の絵のようにも見える。
「いや、ふつう持ってないですって!」
「……父の形見だ」
篠宮は短く返事をした。外交官を目指していた父は、外国の習慣を知る一方で、日本の伝統文化についてもよくわきまえていた。外国人から日本の慣習について質問を受けた時に、明確な回答ができなければ困るからだ。
「やばい惚れ直した! 似合う! 篠宮さんカッコいいです! もう鼻血出そう……ここが暗い夜道だったら、俺、間違いなく襲ってます!」
「胸を張って言うことか!」
思わず声を荒らげたが、結城は意にも介さない。何を言われても幸せいっぱいといった様子で、満面の笑みを浮かべている。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「えー、だって。篠宮さんが俺のために着てくれたのが、嬉しいんです」
「べっ、別に君のためというわけじゃ……」
急な反撃を受け、篠宮は慌てて眼をそらした。
「君の話を聞いたときに、着物ならうちにも何枚かあったと思い出して……正月くらい着てみようかと思っただけだ」
「だからー。それを着て、俺と一緒に出掛けようと思ったんでしょ? もう、照れちゃって。ほんと可愛いなあ」
「馬鹿。違う」
篠宮は眉を吊り上げてみせたが、結城はまったく気にしない。ただただうっとりとした眼で篠宮を見つめ続けているだけだ。
「ほんと似合う……でも篠宮さん、なんでそんな涼しい顔してられるんですか。俺もう、この辺が苦しくって。兄貴は面白がって、腰紐ぎゅうぎゅう巻くし」
そう言って、結城が脇腹の辺りに手を当てた。
篠宮は苦笑した。たしかに洋服と較べると着方は煩雑だが、慣れてしまえばどうということはない。動きやすいように、自分の着物は腰紐も帯もごく緩めに締めている。着崩れしてきたら、直せばいいだけの話だ。
「自分で着たほうが楽だぞ。紐の締め具合も調節できるし」
「えー。俺には無理っぽいです……いちおう親父と兄貴に教えてもらったけど、構造がよく解んなかった」
結城が口をとがらせ、情けない声を出す。篠宮は彼の着姿を見下ろした。結城の袴は、一分の隙もなくかっちりと着付けてある。顔立ちにあどけなさが残っているせいか、祝い事で着物を着せられた男の子のようだ。
父親と兄から、二人がかりで着せてもらっているところを想像すると、なにやら微笑ましい気もする。篠宮はつい口に出して言ってしまった。
「七五三みたいだな」
「もう篠宮さん。お袋とおんなじこと言わないでくださいよ!」
結城は悲痛な声で異を唱えた。
「そりゃあ俺、篠宮さんから見たら子どもかもしれないけどさ……」
「人を年寄りみたいに言うな。二つしか違わないだろう。それに……子どもはあんな事はしない」
「……あんな事って?」
結城は初めきょとんとした顔をしていたが、すぐに話を察してにやけた笑みを見せた。
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