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暖かな時
「お言葉はありがたいのですが、私たちは会社勤めをしている身なんです。今回は遠慮させていただけませんか。顔が判るような露出は、会社としてあまり好ましくないと思いますので」
篠宮がそう言って断ると、女性は驚きの表情を見せた。
「会社勤めって……え、本当に普通の、一般企業の会社員なんですか? てっきり芸能関係のかただと思って……事務所に交渉したら、オッケー取れるかなって期待してたんですけど」
「やだなぁ。芸能関係の人が、こんな目立つ格好してるわけないじゃないですか」
「はは。それもそうですね」
結城がすかさず突っ込みを入れると、女性は声を上げて笑った。
「一緒に初詣に行くなんて、仲がいいんですね。もしかして恋人同士ですか?」
「そうなんです! ……と言いたいところだけど、残念ながら俺の片想いなんですよねー。お姉さんたち、もし初詣がまだでしたら、俺の恋が実るようについでに祈っといてください」
「あははっ。お兄さん、面白いですね」
彼女は楽しそうに再び笑い声をあげた。なかば呆れながら、篠宮は結城の顔をじっと見つめた。相変わらず、女性の心をつかむことにかけては天才的な男だ。
「あっ、そうだ。済みません、撮影をお断りしておいて、こんなことお願いするのもなんなんですけど……俺のスマホで写真撮ってもらえませんか? せっかく着物着たから、記念に撮っておきたいんです」
結城が図々しく願い出る。女性は嫌な顔ひとつせず、コーラルピンクに塗られたくちびるで笑みを形づくった。
「ああ、いいですよ。その代わりといったらなんですけど、気が向いたら、さっきの名刺の番号に電話していただけませんか? お兄さんたち写真映えすること間違いなしだから、うちの雑誌の専属モデルになってもらえると嬉しいです。できれば二人セットで! ぜひぜひお願いしますね」
「あはは、そうですねー。今の会社クビになったら考えます」
「あー、お兄さんはともかく、こっちのお兄さんはクビになりそうもないですね。いかにも仕事できる男って感じだもの」
女性がそう言って篠宮の顔を見る。
「そうなんですよー。もう顔はいいし頭はいいし仕事はできるし、言うことないです。あとは俺のこと好きになってくれたら、完璧なんですけど」
篠宮への褒め言葉を補足しながら、結城は上機嫌で笑った。自分のほうはさりげなく失礼なことを言われているのだが、まったく気にした様子がない。
「頑張ってくださいね。陰ながら応援します、ふふ。じゃあ安藤くん、シャッター押してあげてくれる?」
「分かりました」
後輩らしきその男性は、持っていたカメラを女性のほうに預けた。結城がいそいそと、篠宮の隣に立ってポーズを決める。仕方なく、篠宮は結城と並んでレンズに眼を向けた。写真を撮るなど気が進まないが、ここで嫌だと駄々をこねるのも大人げない。
一枚撮り終わると、結城はにこやかに微笑んでさらにこう頼んだ。
「ありがとうございます。念のため、もう一枚お願いしてもいいですか?」
「え? あ、はい」
安藤と呼ばれた男性は、そう言われて再びピントを合わせた。脚を少し開いて姿勢を安定させ、タイミングを合わせるため声を掛ける。
「はい、撮りますよー」
シャッターが押される瞬間。結城はひょいと首を伸ばし、篠宮の頰にキスをした。
「たかがスマホのカメラとはいえ、やっぱプロですね。ブレちゃうかなーと思ったんですけど、めちゃめちゃ綺麗に撮れてますよ。ね、見てください、この篠宮さんのびっくりした顔! 可愛い!」
結城が頬を緩ませながら大はしゃぎしている。差し出された画面には眼を向けず、篠宮は眉をしかめて言い放った。
「君は平気なのか。あっ、あんな、公衆の面前で……!」
「平気に決まってるじゃないですか。篠宮さんは世界一綺麗で、世界一可愛い、俺の大好きな人だもん。誰に見られたって、恥ずかしくなんかないですよ。社内の一斉メールで回したっていいくらいです」
「ばっ、馬鹿。そんな事したら……!」
怒りと羞恥で顔を真っ赤にして、篠宮は結城の話をさえぎった。いくらなんでも本気ではないと思うが、この馬鹿は放っといたら何をしだすか分からない。
「ははは、冗談ですよ。そんな事するわけないじゃないですか。こんな可愛い篠宮さん、他の人に見せたらもったいない。この写真は、俺の秘密の宝物にします」
嬉しさいっぱいといった表情で、結城が画面にキスをする。篠宮は諦めて嘆息した。後からいくら騒いだところで、撮られてしまったものは仕方がない。他の人に見せないことを祈るのみだ。
「そういえば、おみくじを引いてこなかったな」
「ああ、そうですね」
「意外だな。君は、ああいうのを面白がるタイプかと思っていたが」
おみくじはたしか、拝殿からすぐ近くの所に何箇所か設置してあったはずだ。少しばかり人だかりはできていたものの、気後れするほど混んでいたわけではなかったように思う。そもそも結城は、どれほど混んでいたところで気後れするような男ではない。
篠宮が訊くともなく訊くと、結城は胸を張って答えた。
「いいんです、引かなくて。俺には、篠宮さん以外は有り得ないから。篠宮さんと結婚して、一生篠宮さんだけを愛し続けます。おみくじになんて書いてあろうが関係ありません」
迷いのないその口調と精悍な横顔に、思わず心臓が跳ね上がる。
西日が赤く色づき始めたのを感じて、篠宮は安堵した。空に流れる雲が、傾きかけた陽光で茜色に染まっていく。この夕暮れの光の中にいれば、紅潮した頬に誰も気づきはしないだろう。
「夕飯はどうする。なにか食べて帰るか」
篠宮は隣に問いかけた。昼食をろくに食べないで出てきたせいか、さすがに空腹を感じる。
「うーん……」
すぐには答えようとせず、結城は顔を伏せて何度か瞬きをした。僅かに首を傾けて、隣にいる篠宮を上目遣いで見つめる。
「ご飯もいいけど……早く帰ってエッチしたい」
その言葉を聞いて篠宮は肩を落とした。男らしく誇らしいと思って見直した途端、すぐにこの有様だ。
「君のその、ムードの無さはどうにかならないのか」
「だって……」
結城が泣きそうな表情を見せる。比喩ではなく、お預けをくった犬そのものだ。
篠宮は深く溜め息をついた。眉を寄せて懇願するような結城の顔を見ると、つい言うことを聞いてしまいたくなる。理屈ではない。自分は、この顔に弱いのだ。
「ね。帰ったら……しよ?」
篠宮の眼を覗きこみ、結城が甘えたような声を出す。
ちょっとした風にも跳ねる柔らかな髪、人懐っこい仔犬のような眼、しっとりと潤ったくちびるに甘えた声。篠宮は観念して睫毛を伏せた。もう、なす術がない。抗うことなどできない。降参だ。
「……帰るぞ」
「えへへ。篠宮さん大好き!」
結城が踊り出すかのように足を前へ向ける。
「ごはん何にしましょっか? すぐできる物がいいですよね。冷蔵庫に何あったかな。焼きそばか親子丼……お正月だからお雑煮でもいいかな」
隣でぴょんぴょんと跳ねる結城の姿を見ながら、篠宮は苦笑した。
いつのまにか結城のあの部屋が、自分にとって一番くつろげる、帰る場所になっている。そんなことを思いながら、篠宮は彼とふたり並んで家路をたどった。
来年の初詣も、結城と一緒に行けるだろうか。
その時、彼はもう心変わりしているかもしれない。もしかしたら今まであったことはすべて夢で、眼が醒めたらただの上司と部下に戻っているかもしれない。恋なんて、その程度の儚いものだ。
不意に浮かんだその考えを、頭を振って追い払う。
何も言わず、篠宮は歩きながら結城のほうにそっと肩を寄せた。今はただ、この暖かな時が永遠に続くのだという幸福感の中に、黙って身を任せていたかった。
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