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心惹かれて
理論で追い詰められ、しだいに逃げ場がなくなっていく。篠宮の背すじに、うっすらと冷や汗が浮かんだ。
「君はきっと最初、ユウキに反発を感じたはずだ。君とは正反対の存在だからね。でも彼を知るうちに、君は、自分にないものを持っているユウキにだんだんと心奪われていった……君が彼に惹かれるのは、必然だ。あえて陳腐な言葉を使うなら、運命だよ」
エリックの言葉のひとつひとつが、自分でも気づかなかった思いを引きずり出していく。固い殻をこじ開け、心の奥を無理やり暴かれるたび、鈍い痛みが篠宮の胸を苛(さいな)んだ。
「運命なんかじゃありません。たしかに、私が家庭的に恵まれていなかったのは事実です。自分にないものを彼に求める……それは、起こり得ることかもしれません」
プライベートなことはあまり言いたくないが、ここまで暴かれているのであれば仕方ない。篠宮は渋々ながら彼の言葉を認めた。
「でも、結城のほうにはそんな理由はない。あるとすれば、ただの同情でしょう。あと二、三か月もしたら、彼は私に飽きるに決まってます。私はそれを待っているんです。ほとぼりが冷めたら、彼も私を解放してくれるだろうと思って」
「飽きる? ユウキが君に?」
エリックは呆れたように溜め息をついた。これだけ言っても解らないのか。そう言いたげな表情だ。
「マサユミ。前にも言ったじゃないか。君は君自身の魅力に、もう少し気づいたほうがいい。ひとたび君の魅力に取り憑かれたら、抜け出すのは容易じゃないよ。君は一見冷たく無表情に見えるけど、それはほんのうわべだけだ。本当の君はきっと、誰にも負けないような情熱を隠し持ってる。君が恋をしたらどうなるのか……純粋に、心理学のひとつのケースとして興味があるんだ。もちろん、その相手がぼくであれば言うことはないけれど」
「相手が結城だろうがあなただろうが、私が恋するなんて有り得ません。私は恋愛に向いていないんです。情熱なんて、欠片 もありません」
「違う。普段の君は、鋼鉄の理性でそれを抑え込んでいるだけだ。その殻を取り払って、もういちど思い返してごらん。彼のことを思うだけで胸が熱くなったり、理由もなく急に顔を見たくなったり、彼が他の人と一緒にいるのを見て嫉妬に駆られたり……思い当たることがあるはずだ」
エリックの静かな声が、ゆっくりと篠宮を追い詰めていく。窮地に陥った篠宮は、かろうじて口先だけでそれを否定した。
「そんなこと……ありません」
「そう言い張るならそれでもいいよ。ぼくがこんなことを言い出す前から、君は自分の感情の変化に気づいていたはずだ」
篠宮は口を閉ざして眼を伏せた。認めたも同然だったが、はっきりと声に出して語るよりはましだ。
自分は、結城のことが好きなのかもしれない。それはだいぶ前から感じていたことだった。ただ、認めたくなかったのだ。愛情を受けずに育ってきた自分に、他人を愛することなどできるわけがない。その思いは遥か昔から、篠宮の人格の根幹に食い込み、深い爪痕を残していた。
「何が君をそんなに:頑(かたく)なにさせているのかな? 彼が男だから? 世間体? それとも、まだ始まってすらいないのに、もう別れの時が怖い? ……ねえマサユミ。もしユウキが今日死んだら、君はどうするの? 少し考えてみてほしい」
「やめてください、縁起でもない」
「それでも考えてみるんだ。そうだな……こういうシナリオはどうだろう。今日、研修が終わった後、彼は君のことを考えながら家路をたどっていた。君が色よい返事をくれないので、彼は気が狂いそうなくらい思い悩んでいて、居眠り運転の車に気づくのが遅れた……想像してごらん。彼は君の真の想いを知ることもなく、愛する君にもう二度と逢えないという悲しみだけを胸に、絶望の中で死んでいった」
篠宮は無言で頭を振った。結城が自分の前からいなくなるなど、考えるだけでも苦痛だった。
「きっと、自分も死んでしまいたいと思うほどに悲しいだろうね。そしてその後に、こう思うだろう。あんなに一途に、自分のことを恋い慕ってくれた彼に、本当の気持ちを伝えてあげるべきだったと。つまらない意地なんか張らずに、素直に好きと言ってあげれば良かったと。もし本当に彼の身になにかあったら、君はたぶん、それこそ死ぬほどに後悔するよ」
篠宮は黙ってその言葉を聞いていた。
「ためらっている暇なんてない。人生は短いんだ。ユウキを愛しているなら、そう言ってあげたらいい。彼が深く君を想っていることは、誰が見ても明らかじゃないか。君がなんとも思っていないのならともかく、好意を持っているのにそれを示してもらえないのは、他人事ながら可哀想だと思うね。あれだけ好きだ好きだと言っているのに、ただ焦らされて、思わせぶりな態度を取られ続ける……さすがのぼくも、ユウキに同情するよ」
エリックの言葉を聞いて、篠宮は奥歯を噛み締めた。
いっそ、認めてしまえば楽になるのだろうか。彼の明るさ。誰からも愛される素直さ。いちど欲しいと思ったら、我が身を滅ぼすほどに、手に入れるまで追い求める激しい情熱。自分にないものをすべて持っている彼に、たまらなく心惹かれていると。
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