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真紅のリボン

「そうだな……ブラックのコーヒーがいい」 「分かりました。ちょっと待っててくださいね」  そう言うと、結城は手に持ったコートとジャケットを篠宮に押しつけた。こっちは任せた、ということなのだろう。 「まったく……」  呆れて溜め息をつきながらも、篠宮は預けられたコートをハンガーに掛けた。続けて自分のコートを脱ぎ、同じくハンガーに掛けて並べる。  台所から、かちゃかちゃとカップの触れ合う音が聞こえた。  続いて、勢いよく冷蔵庫を開ける音がする。相変わらず騒々しい奴だ。そう思いながらも、彼が立てる物音になぜか心が浮き立つような気がして、篠宮は人知れず苦笑した。 「あれ。何これ? ……ああ、バレンタインのチョコか」  紙袋ががさがさと鳴るような音がして、結城が冷蔵庫を漁っている気配がする。篠宮は立ち上がって、扉の陰から顔を出した。 「ああ……そういえば、貰ったきり忘れていた。甘い物は苦手だから、持て余していて」 「なんだー。俺にくれれば良かったのに。俺、チョコレート大好きだから。ねえねえ、中身見ていい? 篠宮さん、何個もらったの?」  好奇心いっぱいといった顔で眼を輝かせ、結城が袋を引っ張り出す。微かに不安を感じて、篠宮は結城の持った紙袋をじっと見つめた。あの紙袋の中には、彼にあげようと思ったチョコレートも入っているのだ。 「そんなに心配そうな顔しないでくださいよ。いくら俺でも、義理チョコに焼きもち焼いたりしませんから……って、あれ?」  可愛らしく小さくまとまった義理チョコの中で、ただひとつ大きく、豪華に真紅のリボンを結んだ箱は明らかに異質だった。思ったとおり顔色を変えて、結城はチョコレートの箱を持ったまま駆け寄ってきた。 「これ、どう見ても本命にあげるチョコじゃないですか! ちょっと篠宮さん! 誰から貰ったの?」 「それは……」  篠宮は言葉に詰まった。  本当のことなんて言えるわけがない。密かに用意した贈り物を、慎み深さと恥じらいのあまり渡せなかったなんて、いったいいつの時代の恋愛小説だ。しかもその登場人物は、可憐な乙女でもなんでもなく、いいかげん二十代も半ばになった大の男なのだ。 「ねえ、誰? もしかしてエリックの野郎? あいついかにも、こういう気取ったチョコ寄越しそうだもん」  結城が無遠慮に言い放つ。その言葉を聞いて、篠宮は眉をしかめた。  気取った……そうかもしれない。だがこのチョコレートは、自分が休日の時間を:割(さ)き、曲がりなりにも想いを伝えようとして選んできた物なのだ。そんな言われかたをする筋合いはない。 「誰だっていいだろう。聞いてどうするんだ」  少しくらい嫉妬させてやればいい。そんな意地悪い気持ちが芽生え、篠宮はわざと含みを持たせる言いかたをした。 「良くないです。ねえ篠宮さん。俺の気持ち、解ってるでしょ? なんで本命のチョコなんて受け取るの?」  丁寧に包まれたチョコレートの箱を、結城はベッドの枕元に放り投げた。両手を篠宮の肩にかけ、真正面からすがりつくような視線を向ける。 「本命かどうか判らないじゃないか」 「本命に決まってるじゃないですか! ここのチョコ、ベルギーの王室御用達で有名なんですよ。そんなの、義理であげるわけないでしょ?」  嫉妬を隠そうともせず、結城は篠宮の身体にのしかかるようにして問い詰めた。バランスを失って、篠宮がベッドの上に倒れこむ。 「ねえ。男? 女? どうして隠すんですか」 「言いたくない」  この程度で壊れる関係なら、壊れてしまえばいい。そんな自暴自棄にも似た気持ちが、冷たい言葉となって口から飛び出した。 「篠宮さん…… なんで? なんで言いたくないの?」  どうあっても相手が口を開こうとしないのを見ると、結城は篠宮をベッドの上に押さえつけて馬乗りになった。 「(かば)ってるんですか? いつまでも意地張ってると……」  言いながら、結城が箱のリボンを解(ほど)いていく。十字にかけられていた幅広のリボンは、真っ直ぐに伸ばすと一メートル以上の長さがあった。 「……縛っちゃいますよ」  結城が静かな声で脅しをかける。あらん限りの反抗心を込めて、篠宮は彼を(にら)み返した。こんな馬鹿げた脅迫に屈したくはない。 「それで気が済むならそうしたらいい。あのチョコレートが誰の物だったのかは、私のプライバシーに関することだ。君に言う必要はない」  篠宮は冷ややかにそう告げた。結城が悔しげに歯を食いしばる。その瞳が暗い(かげ)を帯びた。 「……そうですか。じゃあ、そうさせてもらいます」  低い声で結城が呟く。篠宮の両手を頭上に押さえつけ、彼は手首同士を重ねてリボンを巻いた。  解けないよう固く縛り、残った端をベッドの柵に結び付ける。篠宮は抵抗しなかった。それで気が済むなら、そうしたらいい。そう言ったのは自分のほうだ。  試しに腕を動かしてみる。きつくはなく痛みもないが、簡単には取れそうになかった。 「篠宮さん……赤、似合いますね。綺麗です」  こんな場面には不似合いなほど優しい声で囁き、結城は縛られた手首をそっと撫でた。

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