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映画のように
「結城。その……私もなにか手伝おうか」
食材に問題がないと思って安心したためか、ふとそんな言葉が口をついて出る。
「君は疲れて帰ってきているのに、私のぶんの食事まで作らせるのは申し訳ない」
「えー、そんなこと気にしなくていいのに。篠宮さんに喜んでもらえたら、俺はそれで満足ですよ」
洗った野菜をざるに放りこむと、結城は振り向いて篠宮のほうを見た。
「でもせっかく篠宮さんがそう言ってくれてるから、ちょっとだけ手伝ってもらおうかな。服汚れちゃうといけないから、エプロン持ってきてください。上から三番めの引き出しに入ってます。あの、百合の柄のやつ」
篠宮は一昨日のことを思い出した。百合の柄のエプロン。料理ではなく、違う目的で使った物だ。
「いや、あれは……なんというか、良くない思い出が……」
「えー? 俺にとっては最高の想い出ですけど? それに、ちゃんと洗いましたよ」
「いや、洗ったといっても……」
「しょーがないなあ。じゃ、白のフリフリ着てもらえます?」
「いや……それもちょっと……」
「もう、注文が多いなあ。じゃ、俺のやつ使ってください。あと二枚くらいあるはずだから」
「そうさせてもらう」
短く答えると、篠宮は寝室へ向かった。引き出しの中からシンプルな黒地のエプロンを選び出し、それをつけて台所へ戻る。
「へへー。なんかいかにも、仲のいい夫婦って感じですね」
緑のチェック柄のエプロンをつけた結城が、笑顔で篠宮のそばに寄り添った。
「じゃあ篠宮さんには、じゃがいもの皮むいてもらおうかな。このピーラー……えっと、この皮むき器で、じゃがいもの皮をむいてください」
「解った」
「大丈夫? できる? 指切んないでね?」
結城が不安そうに問いかけてくる。完全に、幼い我が子のクッキングを見守る母親の眼差しだ。
「子供じゃないんだ……そんなに心配しなくていい」
視線を感じて、篠宮は小さな声で抗議した。左手でじゃがいもを持ち、表面にピーラーを滑らせて徐々に感覚をつかんでいく。
「妙な事をするなよ」
しだいに慣れてくると、皮むきをしながら結城に声をかける余裕も出てきた。本当に、仲の良い夫婦のようだ。そう思うとなにやら気恥ずかしい気持ちになってくる。
「いくら俺でも、実際に料理作ってる時にあんな事しませんよ。篠宮さんが怪我したら嫌だもん。あ、それ終わったら、小鍋にお湯沸かしてもらえます? 味噌汁作るから」
「ああ」
結城に言われるまま、湯を沸かし豆腐を切り、使い終わった調理器具を洗う。食欲をそそる匂いが漂う頃になると、結城は急に何か思い出したように声を上げた。
「そういえば……今日のテレビ……」
ばたばたと足音を立てて、結城が居間へ向かっていく。篠宮は部屋を覗きこんだ。結城がリモコンのボタンを押しながら、テレビの画面を切り替えている。番組表を確認しているらしい。
「篠宮さん。今日のテレビで『レイヴンオーキッド』が放映されるんですよ! 俺が子供のころ、大好きだった映画なんです。ねえねえ篠宮さん、リビングにごはん持ってって、観ながら食べよ?」
「レイヴンオーキッドか……小学生の頃、流行っていたな」
「そうそう! 篠宮さんも観たことあるでしょ?」
「いや、実は……ないんだ」
「そうなの? じゃあ絶対観なきゃ」
できた料理を居間のテーブルに並べ、結城はさっさとソファーの上に自分の居場所を作った。
結城が好きだったという映画は、ファンタジーの冒険物だった。三人兄弟の末っ子が、母親の病気を治すため、魔界に咲く薬草の花を取りに行く……というストーリーだ。子供にも解りやすい展開と映像の美しさで、当時大流行したということだけが記憶にある。その頃はすでに、父も母もほとんど家に居なかったので、観たいと駄々をこねることもできなかった。
「このエルフの王子様、篠宮さんに似てる」
映画が終盤に差しかかった頃、結城が突然そんなことを言い出した。
「……そうか?」
篠宮はまじまじと画面を見直した。結城が言っているのは、紆余曲折を経て最後には主人公の仲間になる、異種族の国の王子だった。役に合わせて特殊メイクを施してあるのだろう。恐ろしいほど整った繊細な顔立ちで、真っ直ぐな金髪を腰の下まで伸ばし、額には宝石の輪飾りをつけている。
「似てるところがひとつも無いぞ」
「似てますよー。一見怖そうだけど、なんだかんだ言って優しくて、主人公のこと助けてくれるでしょ。子供の頃は、かっこよくて綺麗な人だなと思ってたけど……なんか、いま観ると可愛い。思ってること口に出せない所とか、素直になれない所とか」
そう言いつつ、結城は画面と篠宮の顔を見較べた。
「そっかー。俺、昔からそういうタイプに弱かったんだ……そりゃ、篠宮さんに一目惚れしちゃうのも当たり前だよね!」
腕を伸ばし、結城が隣に座ったまま抱きついてきた。柔らかい髪が頰に触れ、少しくすぐったい。
「篠宮さん、先にお風呂入ってきてよ。俺、その間に片付けとくから」
「私が片付けよう。いつも君にしてもらうのは心苦しい」
「だからー。篠宮さんはそんなこと気にしなくていいの。それに篠宮さん、絶対コップ割るもん」
「……割らないように注意する」
「じゃあ、また今度ね。今日は俺にやらせて? 篠宮さんの綺麗な手が荒れちゃったら大変だから。ね?」
立ち上がって篠宮の手を取り、映画のように恭 しくキスをすると、結城は食べ終えた皿を持って居間を出ていった。
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