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用事がなくても

「安心しろ、結城。たぶん私もなにかの病気なんだ。好きだ好きだとしつこく繰り返されても、くだらない些細なことで鬼のように嫉妬されても、毎日のように抱きたいと駄々をこねられても、どういうわけか君を嫌いになれない。それどころか、嬉しいとさえ思ってしまう……君くらい解りやすく求めてくれたほうが、私にはちょうどいいんだ」 「駄目だよ篠宮さん、そうやって俺を甘やかしちゃ……俺、また図に乗るよ?」 「心配するな。本当に嫌な時は、引っぱたいて拒否させてもらう」 「ははは。やめてよ。篠宮さんのビンタ、痛いんだから」  笑い声を上げて、結城は篠宮の首筋にキスをした。右手で布団を掛け直し、甘い声で耳元に囁きかける。 「ね、篠宮さん……明日はさせて? いいでしょ?」 「ああ。気合入れてかかってこい」 「やった! アポ取れた」  結城がおどけた声で呟く。篠宮は眼を閉じた。こうして彼と過ごす時間が長くなるほどに、少しずつ二人の距離が縮まり、おたがいの理解が深まっていくのが解る。 「……おやすみ」  結城の手が、小さな子供にするように、とんとんと肩を撫でている。温かく優しい腕の中で、篠宮は今度こそ満ち足りた気持ちで眠りの淵に沈んでいった。  ◇◇◇ 『……あ、篠宮さん? お昼ごはん食べた? いい子にしてましたか?』  電話の向こうから、結城の浮かれた声が聞こえてきた。  読みかけの本を傍らへ置き、篠宮は溜め息をついた。ここ数日というもの、結城は昼休みになると必ず電話をかけてくるのだ。  せっかくの休憩時間なのだから、ゆっくり休めばいいではないか。そう思っていつも説教するのだが、結城はまったく気にせず、あくまで自分の考えを押し通してくる。  まあ、ここまで来たら仕方ない。篠宮はそう思ってソファーに寄りかかった。今日は金曜日。つまり、結城の家で彼の帰りを待つのもこれが最後ということだ。結城の暇つぶしに、少しくらい付き合ってやっても(ばち)は当たらないだろう。 「用事もないのに、どうして電話してくるんだ」 『えー。仕事の合間に、愛する妻の声を聞きたいと思うのは当然じゃないですかー。別に用事がなくても……』  いつものように明るい声でそこまで言いかけてから、結城はなにか思い出したように言葉を切った。 『あ、そうだ。ありました。ひとつ、大事な連絡が』 「……連絡?」  『今日、残業になりそうなんですよ。たぶん帰りは八時半過ぎになるかな……このまえ話してた、シトリナさんとの打ち合わせがあるんです。ちょっと大きな話になりそうなんで、牧村主任と一緒に行く予定になってるんですよ。発注のスケジュールも、今日のうちにある程度決めておきたいし……来週になって篠宮さんに迷惑がかからないように、ばっちり話をまとめておかなきゃ』 「そうか……失礼のないようにな。シトリナジャパン様にも、牧村主任にも」  来週には仕事に戻れる。そのことを考えると、篠宮はめずらしく気分が高揚するのを感じた。ここ数日の間、掃除をしたり買い物に行ったりとなるべく身体を動かすようにはしていたが、もともと無趣味なので暇を持て余していたのだ。急に与えられた一週間の休みなど、結城が居なかったら退屈すぎて、頭がどうにかなってしまったかもしれない。 『解ってますって。それより、晩ご飯のことですけど。ちょっと遅くなっちゃうから、篠宮さんは先に食べててください。俺、自分の食べるぶんだけ、適当になんか買って帰ります』 「食べてこないのであれば、私のほうで何か用意しようか。凝ったものはできないが……簡単な物なら、なんとか」  ためらいがちに篠宮はそう口にした。料理の腕に自信などないが、最近ではネット上に無料のレシピがたくさん載っている。忠実に手順を守れば、自分でもできるはずだ。 『え。篠宮さん、一人で料理なんかできないでしょ……?』  結城が疑わしげな声で呟いた。 「私だってそのくらいできる」  微妙に機嫌を損ねながら、篠宮は返事をした。たしかに結城のように器用にはできないが、頭から否定されるのは面白くない。 『いや……篠宮さん。無理はしないほうがいいですよ。俺、買って帰るから大丈夫です』 「どうしてできないと決めつけるんだ。私でも、作りかたを見ればカレーくらいは……」 『あの……篠宮さん』  結城が急に口調を改めた。 『俺、篠宮さんのこと大好きです。本当に心から愛してるし、一生大事にしたいと思ってます。でも、それとこれとは話が別です。帰った時、家が火事になってたら嫌だし』 「人をなんだと思ってるんだ……」 『ね。悪いこと言わないから、余計なこと考えずに家でおとなしくしてて。帰ったらいっぱいチュウして、いっぱい抱っこして、一晩中可愛がってあげるから。 ね?』 「う……」  立て板に水とばかりにまくしたてられて、篠宮は仕方なく黙りこんだ。腹立たしいことこの上ないが、結城の意見を覆せるほどの実績は自分には無い。  今度、家でこっそり練習してみようか。なんとか結城の鼻を明かしてやりたくて、篠宮は心の中で密かに計画を立てた。調理器具なら、結城が持ちこんだ物がいろいろと置いてあるはずだ。無断で拝借しても、どうという事はないだろう。  そこまで考えて、篠宮は思わず苦笑いした。  必要に駆られてではなく、純粋に、誰かのために何かをしてあげたいと願う。まさかこの自分に、そんな日が来るとは夢にも思っていなかった。

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