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君の夢を見ていた

 がたがたと身体全体が揺れ始める。ガラスが粉々に砕け散るような感覚と共に、窓も壁も芝生も、すべてが一瞬で溶けて無くなった。 「……篠宮さん」 「んっ……」  皓々と明かりのついた中で、篠宮は眼を開けた。スーツ姿の結城がすぐそばにかがみこんで、心配そうな眼でこちらを見ている。 「夢か……」  篠宮は額を押さえた。やけに色鮮やかだった夢のせいで、少しのあいだ頭が混乱する。結城が帰ってきているということは、今は夜の九時頃なのだろう。 「どうしたの篠宮さん? 布団もかけないで。体調悪いの?」 「いや……そういう訳じゃない。横になったら、うっかり眠ってしまって」 「それならいいんだけど……電話しても出ないから、心配したよ」 「済まない」  篠宮は素直に謝った。たしかに、電気をつけたまま布団の上に倒れていたのでは、身体の具合が悪いのかと疑われても仕方ない。 「……君の夢を見ていた」 「え? 俺?」  結城が眼を丸くした。その整った顔の輪郭が、夢に出てきたあの青年と完全に重なる。 「俺の夢って……あー。もしかしてエッチな夢?」 「違う! 君と……どこか知らない、外国の屋敷にいる夢だ」 「もー、篠宮さんってば。夢に出てきちゃうくらい、俺の帰りが待ちきれなかったんだよね? ほんと、可愛いことばっかり言って……これ以上俺を夢中にさせてどうするつもり?」  篠宮を両肩の上からぎゅっと抱き締め、結城は頬をすり寄せた。えへへーと笑い声をあげる口元が、幸せに緩みきっている。ようやくのことで眼が覚め、篠宮は結城の身体を押し戻した。 「そんな訳ないだろう。馬鹿、早く着替えろ。スーツが皺になる」  はいはい、と軽い口調で結城が返事をする。篠宮の言うことなど、ろくに聞いていない様子だ。いつもと変わらないその様子を見て、篠宮はかえって安堵した。これは夢ではない。現実だ。 「篠宮さん、ごはん食べたの?」 「いや……まだだ」 「俺もまだなんだ。帰りにデパ地下寄ったんだけど、ついいろいろ買い過ぎちゃってさ。俺ひとりじゃ食べきれないなって思ってたから。半分こして食べよ」  それを聞いて篠宮は上半身を起こした。うたた寝に見たあの夢の余韻が、起きた後も身体のそこかしこに残っている気がする。  夢に出てきちゃうくらい。先ほど結城に言われた言葉が脳裏に甦る。そんなにも一途に、自分は彼を想っているのか。そう考えると、気恥ずかしいような誇らしいような、妙な気分になってくる。 「篠宮さん、寝癖ついてるよ」  結城の大きな手が、優しく髪を撫でた。  この手が、自分を外へ連れ出してくれたのだろうか。そんな考えがふと胸に浮かぶ。  夢の中で触れた彼の手は、確かな触感と温かみを持っていた。それを思い出した時、篠宮ははっきりと意識した。自分は絶対に、この手を離してはいけないのだ。 「ただいま、篠宮さん」  いたずらっ子のように微笑んで、結城がそっと顔を近づけた。 「ああ……お帰り」  静かに笑みを返し、篠宮は眼を閉じてくちびるを重ねた。  食事を終えて風呂から上がったのは、もう夜も更けてからの事だった。  洗面台の前に立ち、ドライヤーで簡単に髪を乾かす。ガウンの腰紐をきっちりと結び、篠宮は寝室へ向かった。  結城は先にシャワーを済ませ、ベッドの中で待っているはずだ。それを思うと、胸の辺りが落ち着かず、息苦しいような気持ちになってくる。いいかげん慣れてもいい頃だと自分でも思うが、いざその時になると、跳ね上がる心臓をどうしても抑えることができない。  緊張しながら、そして半ば期待しながら、篠宮は静かに寝室のドアを開けた。照明はすでに落としてあり、辺りは薄暗い。  細く開いたドアの隙間から、結城がいると思われる場所に眼を向ける。予想に反して、ベッドは空のままだった。  どこに居るのだろうか。そう思いながら、篠宮は扉をさらに大きく開いた。バスローブ姿の結城が、こちらに背を向けて窓辺に佇んでいる。どうやら外を眺めていたようだ。 「あ、篠宮さん。お茶、置いといたよ」  振り向いて篠宮の姿を認めると、結城は笑みを浮かべてテーブルのほうを指差した。透明なガラスのコップが、街灯の明かりを受けてほのかに光っている。 「ああ……ありがとう」  部屋の真ん中まで歩を進め、篠宮はベッドの縁に腰かけた。  コップを口に運びながら、結城のほうを横目で見遣る。寝室に入ったら、問答無用でそういう状況になると予測していたせいか、少し拍子抜けがする思いだ。  今夜はベッドの中で親密に過ごす。そのことは、昨日のうちにすでに約束している。抱きたい抱きたいとしつこいほど求めてくる結城が、それを忘れているということは有り得ないだろう。  立ち尽くしたまま空を見上げる結城の姿を、篠宮は落ち着かない気持ちで横から眺めた。今のところ、すぐに始まりそうな雰囲気ではない。焦らされているのだろうか。だとしたら、こんな風にそわそわしながら待っているなんて、彼の思う壺だ。 「ね。篠宮さん……」  結城が急に口を開く。いよいよ始まるのか。それとも……まさかとは思うが、気が変わって、今夜はやめようと言われるのか。どんな言葉が飛び出すのかと、篠宮は心の底で身構えた。

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