102 / 396
遠慮はしない
「このまえ出たばっかりの新商品です! ……というわけで、全部ノンアルコールだから大丈夫ですよ。安心してくださいね」
「まあ普通の会社だったら、いくらノンアルコールでも、仕事中に飲むのはダメって言われるかもしれませんけどね。うち、メーカーだし……社内規定にも『ノンアルコールは許可する』って書いてあるから」
「この際、試飲会も兼ねてってことで、いかがですか? 私たちもこの機会に、ノンアルコール飲料について皆さんのご意見を聞いておきたいんです。なので、時間空いてるかたはぜひご参加ください」
女性たちが口々に声を上げる。篠宮が周りを見ると、佐々木などはすでに行く気満々で、眼の前の仕事を片付けるべく猛烈な勢いでパソコンのキーを叩いていた。
「楽しそうじゃないですか。篠宮さんも行きましょうよ。そこの五、六本の桜、今ぜんぶ満開ですから。真下に座ったら、けっこうお花見気分楽しめますよ」
小首を傾げ、結城が顔を覗きこんできた。佐々木ほどではないが、結城も賑やかなことは好きなほうだ。会社の庭でする花見とはどんなものか、ちょっとばかり興味があるのだろう。
「一人で行ってきたらいいじゃないか」
「もうっ、素直じゃないなあ。口ではそんなこと言っときながら、本当に俺が一人で行ったら拗ねるくせに。篠宮さんの考えることなんか、全部お見通しですよ」
「う……」
図星を指されて、篠宮は言葉に詰まった。心の中の、底の底まで見透かされている。気味が悪いくらいだ。
「まあそういう意地っ張りなところが、可愛くてたまんないんですけどね……ねえ篠宮さん。一緒に行きましょうよ。ね?」
篠宮が返事を渋っていると、結城は哀願するような眼で問いかけてきた。身長はほぼ同じなのに、わざと顎を下げて上目遣いで見つめるのは、言うことを聞かせたい時の彼の常套手段なのだ。解ってはいても、この眼を見るとどうしても抵抗しきれなくなる。
「そうだな……」
人の集まる場所はあまり好きではないが、試飲会となれば話は別だ。ノンアルコール飲料など、ふだん自分では購入しない。自社の商品ということであれば、この機会にぜひ飲んでみるべきだろう。
「まあ……顔を出す程度なら」
仕方ない、これも業務の一環だ。意識してそう強く思いこむことで、篠宮はどうにか自分を納得させた。
「やった! 写真撮らせてくださいね。篠宮さん、きっと桜似合いますよ」
「まずは仕事が先だ。予定通り進めないと、花見どころじゃなくなるぞ」
早くも浮かれた様子の結城にぴしゃりと言い放ち、篠宮は早く席につくよう促した。
「あ、篠宮主任。こっちです!」
満開の桜の下で、企画部の女性たちが手を振っているのが見える。
大きく広げられたレジャーシートの上には、すでに三十人以上が集まって、食事と歓談を楽しんでいた。その中には当然、佐々木と山口の姿もある。コンビニで買ってきたのか、惣菜のような物をいくつも周りに並べ、花見の雰囲気を満喫している様子だ。
見たところ、篠宮の所属する営業一課の人間は、佐々木たちを含めても五、六人だった。
この会社では、特に決まった休憩時間は設けられておらず、各自が仕事の切りのいいところで取って良いということになっている。そろそろ仕事に戻ろうとしている者もいれば、後から来る者もちらほら見かけた。来る時も去る時も、いちいち断りを入れずに済むのが自由参加の良いところだ。他のメンバーも後から顔を出しに来るかもしれない。少なくとも多田部長は、急用がない限りは必ず来るだろう。
「篠宮主任、どうぞここに座ってください。もうすぐ来るかなと思って、席空けて待ってたんですよ」
「はい、飲み物どうぞ。好きなほう選んでくださいね」
女性たちが篠宮の周りに集まり、一斉に世話を焼き始める。結城が:訝(いぶか)しげな顔をした。
「ちょっとちょっと。なんで篠宮さんだけ、そんなにおもてなしされてるの……? 俺は?」
「あー。結城さんは適当にその辺に座ってて。なに飲む? お茶でいい?」
一人が結城に紙コップを手渡し、篠宮の斜め後ろ辺りを指さす。結城が頬を膨らませた。
「なんなのこの扱いの違い? 俺、なんか悪いことした?」
「そうじゃないわ。でも、時代は常に移り変わってるのよ、結城さん。いくら顔が良くて背も高くて優しくて帰国子女でも、他に好きな人がいたんじゃあ、諦めて:他所(よそ)に行こうかって気にもなるわよ。今はもう、篠宮主任の時代なの。分かる?」
ピンクのシャツを着た女性が、腰に手を当てて胸を張った。それを聞いて、結城が情けない顔で眉を寄せる。
「そりゃ、篠宮さんがカッコいいのは知ってるけどさ……みんな乗り換え早くない? ちょっと前までは、俺のほうが断然モテてたのに」
「だって、結城さんは篠宮主任が好きなんでしょ。だったら私たちにモテようがモテまいが、どうでもいいじゃない」
「まあ、そりゃそうだけど……俺のほうはどうでもいいとして、篠宮さんにちょっかい出すのはやめてよ」
「結城さんが篠宮主任にぞっこんラブなのは、もう嫌 って言うほど解ってます。でも私たち、遠慮はしないことにしたの。篠宮主任のほうなら、私たちにもまだ望みはあるでしょ?」
「ないない! 俺たち、両想いだから!」
いきなり飛び出したとんでもない言葉に、篠宮は思わず持っていた缶をひっくり返しそうになった。だが、それを爆弾発言だと感じたのは篠宮ただ一人だったらしい。女性陣はまったく顔色を変えることなく、ごくごく冷静に答えを返した。
ともだちにシェアしよう!