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満開の桜

「うっ……」  喉の奥から曖昧な呻き声が漏れる。正直なところ、怖い。結城と初めて身体を重ねた時は、こんな快楽がこの世にあるのかと思ったが、今の快感はそれを遥かに上回っている。 「君は、その……気持ちいいのか?」 「そりゃ気持ちいいですよ。篠宮さんのここって、感じてくると、ものすごい勢いで俺の吸い取ろうとしてくるんだもん。だから篠宮さんが感じれば感じるほど、俺も気持ちよくなるんです」  おずおずと口にした篠宮の質問に、結城が迷わず即答する。恥ずかしさをこらえて、篠宮は結城の顔を見上げた。もっと深い快楽を、彼と共に味わいたい。恋人と悦びを分かちあいたいという思いが、羞恥心に打ち勝った。 「それなら……」 「してもいい?」  結城が嬉しそうに身を乗り出した。 「ね、篠宮さん。俺、頑張って篠宮さんのお腹の中にいっぱい出してあげたんだから。お返ししてくれてもいいでしょ? 篠宮さんは、俺の口の中に出して」  篠宮の太腿に頰を擦りつけて、結城が甘えた声を出した。飼い主に餌をねだる犬のようだ。 「いや……あんなの、美味い物じゃないだろう……」  顔を赤らめながら、篠宮は首を横に振った。会社で毎日会っている部下に、自分のものを咥えさせるなど、考えただけで顔から火が出る。仕事中に思い出してしまいそうだ。 「もう。恥ずかしがってるの? こんだけエッチしといて、今さら恥ずかしいもないでしょ。口でするのだって、もう何回もしてるじゃん。ね……飲みたい。飲ませてよ」  答えを待たず、結城が篠宮の張り詰めたものに軽く指を這わせる。 「馬鹿っ。いま触ったら……一分で終わる」 「一分も保たせる気でいるの? 三十秒でイかせてあげるよ。賭ける?」  結城が、わざと見せつけるようにぺろりとくちびるを舐める。篠宮はあえて聞こえないふりをした。負けると分かっている賭けはしたくない。 「えへへ。いただきまーす」  篠宮が最初から勝負を諦めているのを見て取ると、結城は舌なめずりをしながら両脚の間に顔を寄せた。 「んっ……」  ねっとりと絡みついてくる舌の感触に身じろぎなしながら、篠宮は明日の墓参りのことを考えようとした。供え物は何を持っていけばいいのだろう。父はどんな物が好きだったのか。花を買っていかなければならない。線香も要るだろう。 「んー、篠宮さん、何か他のこと考えてるでしょ? 駄目だよ。俺のことだけ考えて」  結城がさらに舌を絡めてくる。根元に手を添えたまま先端を刺激されると、声が抑えきれなくなった。 「や、あ、あっ……!」  墓参りなど、できれば行かずに済ませたい。気が進まない。煩わしい。面倒だ。そんな重苦しい気持ちは二十四秒後に、白く濁った液体と共にどこかへ去っていった。  ◇◇◇ 「篠宮さん。着いたよ」  聞き慣れた声と共に優しく揺り起こされ、篠宮は眼を開いた。 「ああ……済まない。寝ていたのか」  眼の前のフロントガラスに燦々と陽が降り注いでいる。助手席にもたれかかったまま、篠宮は眼を覚ますために軽く頭を振った。眠るつもりはなかったが、昨夜の疲れが取れていないためか、うとうとしてしまったらしい。 「花は……」  まだ重い瞼を指先で押さえながら、篠宮は呟いた。供え物の酒と菓子は家の近くで買ってきていたが、花屋がまだ開いていなかったため、そちらは後回しにしていたのだ。 「ああ、ごめん。俺が勝手に選んじゃった。あれでいい?」  結城が後部座席を指さす。篠宮は振り返った。白菊とフリージア、そして大輪の百合が束ねられ、透明なセロファンで巻いてある。 「ああ……ありがとう」 「入り口のとこに、管理事務所みたいなのがあったから。そこに寄って手続きすればいいんじゃないかな」 「そうだな」  シートベルトを外し、篠宮は窓の外を見た。満開の桜の樹が幾本も連なり、微かな風にそよいでいる。  はらはらと、ただひたすらにはらはらと、永遠に尽きないのかと思うほどに散り続ける花びら。父が亡くなったあの日と同じだ。  親戚に連れられてここに来た日のことを、篠宮は微かな胸の痛みと共に思い出した。居並ぶ墓石が父の死の記憶を、まるで昨日のことであるかのように鮮やかに胸に甦らせる。 「篠宮さん。まだ眠い? 今すぐ行かなきゃいけないわけじゃないから、少し休んでてもいいよ」  考え事をしている篠宮を見て、まだ眠気が去っていないと思ったのだろうか。結城が(いた)わるように声をかけてきた。 「いや……大丈夫だ」  ドアハンドルに手を掛け、篠宮は顔を上げた。青い空を背景に、満開の桜の樹が静かに死者に花を手向けている。窓の向こうに舞う花びらは、あの日のような灰色ではなく、美しい薄紅色を呈していた。

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