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幸せに導いて
「篠宮さん助けてよ! ねえ、お父さんが喜ぶ物ってなんですか? 俺、それ持ってまたお参りに来る!」
結城が必死な形相で篠宮の腕にすがりつく。その手を押し返すようにやんわりと拒絶しながら、篠宮は地面に落ちた花束を見下ろした。まったく、タイミングの悪いつむじ風だ。
「墓の前で大きな声を出すな」
周りの眼が気になって、篠宮は辺りを見渡した。ほとんどと言っていいほど人気 はないものの、事務所を出てすぐの場所に、灰色がかった服を着た細身の女性が歩いているのが見える。おそらく、これからどこかの家の墓参りをするところなのだろう。見咎められるようなことがあってはならない。
「とにかく。今日のところは、普通にお参りして帰ろう」
なんとか宥 めようとして声をかけると、結城は眼を潤ませて篠宮を見上げた。
「篠宮さん、また一緒に来てくれる?」
「分かった分かった。また来ればいいんだろう。頼むからおとなしくしてくれ」
「約束ですからね? ……じゃ、もうちょっとお話して、ちゃんとご挨拶してから帰ります」
「声は出すなよ」
「はい」
神妙な声音で呟いたかと思うと、結城は石段の一番下に膝をついた。両手を合わせ、肉親でもこんな顔はしないだろうと思うほど真剣な面持ちで、一心不乱に祈っている。
自分がまだ手を合わせていなかった事に気づいて、篠宮は申し訳程度に結城の真似をした。霊魂の存在など信じていないが、恋人であることをきちんと報告して、相手の家族に認めてもらいたいという結城の気持ちは解らなくもない。
眼を閉じて、篠宮は父の霊に祈りを捧げた。結城と出逢って、自分の人生は見違えるように明るく色鮮やかになった。この先どれだけの月日が経とうとも、彼以上に自分を思ってくれる人が現れるとは思えない。自分を幸せに導いてくれるのは、彼をおいて他には有り得ないのだ。もし今も、この光景をどこかで見ているのであれば、彼と自分の関係を認めてほしい。
「あの……」
不意に横から声をかけられ、篠宮は祈りを中断した。おっとりして優しい感じのする女性の声だ。
眼を開けると、声の主が視界に入った。四十代後半くらいの女性だ。地味なグレーのワンピースを着て、その上に同じ素材のジャケットを羽織っている。
髪は引っ詰めて化粧っ気もないが、身なりを変えればおそらくもっと若く見えるだろう。少し皺が出ているものの、顔立ちは非常に整って、その中でも張りのある涼しい眼元が印象的だった。若い頃はさぞ溌溂とした、人目を引く美女だったに違いない。
「はい……?」
どう答えていいか解らず、篠宮は曖昧な返事をした。足許を見遣ると、結城もひざまずいたまま顔を上げて、彼女のほうに眼を向けている。
「もしかして、あなたは……正弓……さん?」
その女性は、微かに震える声で呟いた。
「ええ……私の名は、正弓ですが」
答えながら、篠宮は遥か昔の思い出が甦ってくるのを感じた。年月を経てはいても、この顔、この声に見覚えがある。
「そう……」
篠宮の答えを聞くと、見る見るうちに女性の眼から涙があふれだした。
「私……篠宮結衣子と申します。あなたの……」
固唾を飲んで、篠宮は次の言葉を待った。なぜこの女性が自分に声をかけたのか。理由は分かっている。それでも、彼女の口から直接聞くまでは信じられなかった。
「……あなたの母です」
少しためらってから、彼女は決心したようにそう告げた。
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