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駄目で元々
「ですが……」
「ほんと三、四枚でいいの! ポーズがどうとか表情をこうしろとか、うるさいことは一切言わないから」
「そうは言っても……」
「引き受けてくれなかったら、あなたたちが路上でキスしてたって言いふらしちゃうわよ!」
「脅迫じゃないですか……」
埒もない押し問答がしばらく続く。どうしたものかと考えあぐねた末、篠宮はようやくひとつの言い訳を思いついた。
新年の初詣でたまたま出会った人と、再び顔を合わせる。彼女にとっては、宝くじで一等が当たったようなものだろう。その熱い思いを覆すには、ある程度の説得力が必要だ。
「吉沢さん」
「は、はい」
篠宮の真剣な声を聞き、彼女が表情を改めた。
「月曜日に、弊社の就業規則を確認します。そこではっきりと副業が禁止されていたら、この話はなかったことにしてください。もし、状況に応じて認めるといった記載でしたら、その際は上司に相談いたします。いずれにしても、月曜日の夜にはお返事できると思います。それでよろしいでしょうか」
「……判りました。仕事を辞めてとは言えないから、それは仕方ないわ。本当に無理なのであれば、その時はきっぱり諦めます」
彼女が物分かりの良い様子を見せたので、篠宮ほっと胸を撫で下ろした。日本では、ほとんどの会社は副業禁止という決まりがある。休みの日や夜の時間を削ってアルバイトをした場合、本業に支障が出ることもあるからだ。
「結城。君もそれでいいな? 私が月曜日に就業規則を確認する。会社が許可していないのなら、引き受けるわけにはいかないだろう」
「そうですね……その時は、残念ですけど諦めます。俺、まだクビになりたくないし」
実のところ篠宮としては、あまり規則云々という話を持ち出したくはない。それを言うと、社内恋愛も禁止されているという事になってしまうからだ。
結城と別れる気も会社を辞める気もない以上、不本意ではあるが、なんとか隠し通すしかない。真面目すぎるほど真面目で、常にルールを守りたいと思っている篠宮にとっては、頭の痛い問題だった。
「あの、もし差し支えなければ教えてほしいのだけど。篠宮さんと結城さんは、どこの会社にお勤めなの?」
「ああ……そうですね。名刺をお渡ししておきます」
篠宮は鞄から名刺入れを取り出した。営業ともなれば、たとえ休みの日といえども、仕事につながるチャンスに巡り合うことがある。その他にもなにかと便利なので、プライベートで出かける時でも常に何枚かは持ち歩いていた。
「ありがとうございますぅ」
語尾にハートマークが付きそうな声を出しながら名刺を見た彼女は、次の瞬間、表情を凍りつかせた。
「げ。大企業……」
彼女の声に絶望の響きが混じった。
だが、彼女が悲観するのも無理はない。しっかりとしたまともな会社であるほど、その規則は法令や社会通念上の倫理を元に、明確に定められている。
篠宮たちの会社は毎年、優良企業ランキング三十位までには必ず入っている。もちろん給料だって悪くはないし、生活のためにアルバイトをする必要などまったく無い。副業を認めている可能性は低いだろう。
「まあ……そういうわけなので、ご期待には添えそうにありませんが」
「そんなこと言わないで。駄目で元々って言葉もあるじゃない。いい返事待ってます! 次はスタジオでお会いしましょう!」
喉の奥から悲痛な声を絞り出し、彼女はテーブルに両手をついて頭を下げた。
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