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独り立ちの時期
「もう、篠宮くん。朝からそんな顔しないの。部下にはちゃんと優しくしてあげて」
「えへへ。大丈夫ですよー、天野係長。篠宮さんって、こう見えてすごく優しいんですから」
結城が嬉しそうに眼を細める。悪戯っ子を眺めるような眼差しでその顔をちらりと見上げてから、天野係長は二人に向かって話し始めた。
「先週末に部長たちと話して、今の営業体制の確認と見直しをしたの。結城くんも、もう入社して半年過ぎたから、普通ならそろそろ独り立ちの時期よね」
係長の話が今後の人事に関わる事だと知って、篠宮は思わず身構えた。『普通なら』とわざわざ言うからには、結城が営業として見習いから卒業するには、まだ何らかの問題があるという事なのだろう。
「ただ、先月からシトリナジャパンさんとの取引が入ってきてるでしょ? シトリナさんはうちを含め、どこのライバル会社もみんな狙ってたと思うんだけど、なかなか靡 いてくれなかったの。結城くんが営業かけて取ってきてくれたのは、本当に快挙だったのよ」
「いえ、別に俺一人の手柄じゃ……篠宮さんが、以前から打診してくれていたおかげなんです」
結城が柄にもなく、照れて顔を紅くした。
「そんなに謙遜することないわ。もっと胸を張っていいのよ。あちらの担当のかたも結城くんのこと気に入ってくれてるみたいだし、本来なら結城くん一人で担当してもらうとこなんだけど……一課としてもシトリナさんは逃がしたくないから、単発じゃなく長期契約に移行できそうな段階になるまで、もうしばらく篠宮くんのサポートを受けてもらいたいの。立場としては補佐のままだけど、営業手当は付けてくれるそうよ」
彼女の言葉を聞いて、結城が眼を輝かせた。
「えっ? 補佐ってことは……まだもうしばらくは、篠宮さんと二人で仕事ができるんですね!」
「まあはっきりとした期間は定めないけど、あと半年くらいはってところかしらね。もう、結城くんってば。手当よりそっちのほうが嬉しいの?」
「そりゃあ嬉しいですよ。俺、篠宮さんに逢うために会社に来てるんですから」
迷わず答える結城の言葉を聞いて、篠宮は溜め息をついた。昇進や昇給よりも、上司にへばりついて甘える時間が欲しいだなんて、これから国の未来を担う社会人として終わっている。
「ほんと大好きなのね。ねえ篠宮くん、いいかげん諦めてお嫁さんにしてあげたら? 明るいし、可愛いし、生涯の伴侶としては最高だと思うわよ」
「そこまで仰 るのなら、係長が貰ってやってください。私は御免です」
昨年の十月に結城が入社してきた時、早く一人前にして放り出してしまおうと考えていたことを、篠宮は思い出した。
早いもので、あれから半年が経っている。愛され求められ、戸惑いながらも想いを交わしていく中で、単調ながらも平和だった自分の生活はすっかり一変してしまった。
「素直じゃないのねえ。まあいいわ。結城くん、これからも頑張ってね」
「はい、もちろんです!」
係長の激励に結城が力強くうなずく。
仕事なのか、それとも恋愛なのか。なんに対しての励ましなのかと思いつつ、篠宮は心の中で小さく嘆息を洩らした。
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