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撮影日和

「あ。あれじゃないですか? スタジオ」  助手席に座っていた篠宮は、結城の言葉を聞いて前方に眼を向けた。  鬱蒼と繁った樹々の間から、美術館のような博物館のような、なんとも判然としない建物が姿を現す。うっすらと雲がかかっているものの、空はよく晴れ渡って、専門の知識がない篠宮にも撮影日和であることが(うかが)えた。  建物の脇には小さな庭園のような植え込みがあり、季節の花が咲き乱れている。おそらく、その庭も撮影用のセットの一部なのだろう。 「ちょっとした旅行気分ですね」  結城が隣で浮かれた声を出す。これから何をさせられるのかと、不安のあまり無口になっている篠宮とは対照的だ。 「あ。篠宮さん、結城さーん!」  駐車場に車を停めて降り立つと、入り口に立っていた女性が、千切(ちぎ)れんばかりに手を振り始めた。 「お二人とも、来てくださって本当にありがとう。遠かったでしょ? ごめんなさい、ロケバスが確保できなくって……」  気の毒なほど恐縮して頭を下げる彼女に、結城は屈託なく笑いかけた。 「大丈夫ですよ。そんなにかかってません。一時間半くらいで着きましたから」  まあロケバスって物にも、一度くらいは乗ってみたかったんですけどね。そう冗談めかして付け加えると、彼女の表情が微かに(やわ)らいだ。  相変わらず女性の扱いに()けた奴だと思いながら、篠宮は横目で結城を眺めた。もし職場の取引先が全員女性だったら、自分の営業成績などあっという間に追い抜かれてしまうに違いない。 「そう言ってもらえると少しは気が楽だわ。それと、本当にいいの? 謝礼は要らないなんて」 「えー。俺としては、篠宮さんと過ごせる貴重な土曜日の半日を使うんだから、謝礼くらい貰ってもいいと思うんですけどねー。篠宮さんが、どうしても受け取れないって言うから」 「私も、どうにか受け取ってもらえないかと思って粘ったんだけどねー。謝礼が出るならモデルの話は断るって、頑として拒否されちゃったわ。ほんと真面目なのね、篠宮さんって」 「そうなんですよー。でも、そこがまた可愛いんですけどねー。へへ」 「ああー、そうですよねえ。はは」  甘い声で恋人自慢をする結城の言葉を、彼女は愛想笑いを浮かべながらさらりと受け流した。女性特有の順応性の高さというべきか、まだ知り合って間もないというのに、早くも結城の扱いかたを心得てきたらしい。 「でもね……お休みの日に、わざわざこんな遠くまで来てもらってお礼無しじゃ、いくらなんでも私の気が済まないわ。近くに素敵なレストランがあるの。撮影が終わったら、そこで夕食をご馳走するわ。それならいいでしょう? というか、もう予約しちゃったし。いいですよね、篠宮さん?」  否と言うことは許さない。固い決意を秘めた彼女の眼を見て、篠宮は仕方なくうなずいた。すでに予約済みと言われてしまっては、いくらなんでも断れない。 「ま、とりあえず中に入って。午後はうちの撮影しか入ってないから、よそに気を遣うこともないわよ」  彼女が先に立って、篠宮たちを招き入れる。入り口の近くに受付らしき物があったが、中に人の姿は見えなかった。 「……意外と静かなんですね」  周りを見渡しながら、結城が素直な感想を述べる。撮影スタジオというと、大勢のスタッフが(せわ)しなく行き交っているようなイメージを抱いていたが、予想に反して中にはほとんど人気(ひとけ)がなかった。 「巻頭カラーの特集とかだと、編集長も来たりして、もっと賑やかになるんだけどね。あんまり大勢で取り囲んだら、あなた達も緊張しちゃうだろうし、今日は少数精鋭にしたの。場所も、ここのスタジオだったらゆったりできるかと思って」  まあロケバスが取れなかったのは誤算だったけどね。失敗したとばかりに軽く舌を出して呟き、彼女は改めてその事を詫びた。

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