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白いタキシード
帯を解いて浴衣を脱ぎ、丁寧にたたんでカウンターの上に置く。
礼装に必要な小物が揃っていることを確認すると、篠宮はピンタックの入ったシャツを手に取り、生地を傷めないよう静かに袖を通した。スラックスにベスト、続けてジャケットとひとつずつ身に着けていくうちに、着慣れぬせいか早くも肩が凝ってくるような気がする。女性の花嫁衣裳ほどではないと思うが、かなりの重量だ。
最後に鏡の前に立ち、篠宮は慎重にアスコットタイの広がり具合を調整した。ウエストが少し緩いものの、写真を撮るだけなら許容範囲だろう。
着替えが終わって部屋を出ると、ドアのすぐそばに白い靴が置いてあった。
靴を履き替え、篠宮は周りを見回した。静まり返ったロビーの中には、安藤カメラマンの姿しか見えない。
「あの……結城は」
相変わらずカメラの手入れを続けていた安藤は、篠宮の問いを聞いて微かに顔を上げた。
「ああ。まだ髪を直してるみたいです。前髪を結んでいた所の癖がなかなか取れないとかで」
それだけ答えると、彼は再びうつむいて作業に戻った。他人とはあまり関わりたくないタイプなのかもしれない。自分もそうであるが故 に、文句を言う気も起こらなかった。
ここに居ないということは、結城とユカリはどこか別の部屋に行っているのだろう。若い女性と二人きりで別室に移るなど、普通なら心配になるところだが、まさか結城に限って間違いが起こるとも思えない。
無意識に、篠宮は胸許のポケットチーフの辺りに手を当てた。微かに揺れる心を押しとどめ、結城がいつもしつこいほどに囁く愛の言葉を信じようと、自分の胸に言い聞かせる。
篠宮は会社での結城の言動を思い出した。彼ならたとえ女性と二人きりになったところで、自分と恋人の惚気 話を散々まくし立て、相手に閉口されているかもしれない。
周りに視線をさまよわせ、篠宮はカメラに触れる安藤の手を見るともなく見た。よほど大事な物に違いない。まるで美女が自分の肌を整える時のように、何枚もの布を使い分けて丁寧に磨き上げている。
続いて、篠宮は自分の足許に眼を移した。陽射しが降り注ぐ広々とした床に、格子状の窓枠が柔らかく影を落としている。物音といえば、鳥の声らしきものが時おり微かに聞こえる程度だ。
……結城はいつ戻ってくるのだろう。そう考えた篠宮は、しだいにこの沈黙を耐えがたく感じ始めた。
座ったまま一心にカメラの手入れをしている安藤と、男との婚礼写真を撮るために、白いタキシードを着て突っ立っている自分。もはや、気まずいを通り越して滑稽ですらある。
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