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生涯にただ一度
「やっぱり、写真は要りませんって……協力してくれたみんなには悪いけど、断っちゃった」
予想もしなかった結城の言葉に驚き、篠宮は思わず眼を見開いた。自分と違って結城は、写真を撮るのが恥ずかしいなどという性格ではない。それが嫌なら、モデルの話自体断 っていたはずだ。
「撮らなくてよかったのか」
「だってさ。やっぱり、本番の時に撮りたいなと思って。一生に一度しかないことでしょ? 俺、感動はその時のためにとっておきたい」
結城が真面目な顔で、急に夢見る乙女のようなことを言い出したので、篠宮は思わず噴き出してしまった。
「結婚式にそんなに夢を抱いているなんて、意外に純真なんだな。世の中には再婚だろうが再々婚だろうが、何度も盛大な式を挙げる人もいるんだぞ」
「そんなのと一緒にしないでよ。そりゃ、篠宮さんと出逢ってなかったら、俺もそうなってたかもしれないけどさ。俺はもう運命の人に出逢って……その人も、俺を好きだって言ってくれたんだ。だから、一度だけだよ。俺が結婚式を経験するのは生涯にただ一度、篠宮さんと式を挙げる時だけなんだ」
篠宮の眼を見つめ、結城は真剣な顔でそう告げた。
これほどまでに深く想われる資格が、自分にあるのだろうか。篠宮は自らの心に問いかけてみた。礼装に身を包んだ結城は凛々しく、すべてに君臨する太陽のように輝いて見えた。その隣に立つだけの価値が、果たして自分にあるのだろうか。
「俺、篠宮さんの一生を支えられる男になるよう、頑張るから。だから結婚式の衣装は、いつか、篠宮さんが本当に着てもいいと思った時……俺のためだけに着て。写真を撮るのは、その時にしようよ」
それだけ言うと、結城はそれきり黙りこんだ。篠宮の顔を映して優しく微笑む瞳が、変わらぬ愛情をなによりも雄弁に語っている。言葉もなく触れもせず、ただ眼を見交わすだけで心を通わせることができるのだという事実を、篠宮は初めて知った。
「……そうだな。写真を撮るのは、その時にしよう」
篠宮は静かに口を開いた。資格の有無とか価値がどうとか、結城はそんなことを問題にはしていない。彼はただ、二人で過ごすこの時間に幸福を感じているだけだ。
彼が自分と同じ気持ちでいてくれる。そしてそれを疑いなく信じられるということが、篠宮の胸の隅々までを暖かい想いで満たした。
「篠宮さん。白……似合うよ。思ってたとおりだ。どうしよう。俺、また惚れ直しちゃうよ」
柄にもなくはにかんだ表情で、結城が褒め言葉を呟く。いつもと違う可愛らしい仕草に、篠宮は胸の奥が甘く疼くのを感じた。
西日に変わりかけた光が優しく降り注ぎ、結城の顔を照らしている。いつもと分け目を変え、毛先を少しカールさせた髪型は、軽やかで彼の顔によく似合っていた。
抱き締めたい。不意にそんな衝動に駆られ、篠宮は理性を振り絞ってその気持ちを抑えこんだ。服が皺になってはいけない。
「……呼びに来られる前に戻ろう」
篠宮は低く呟いた。感情を抑えようとするあまり、つい素っ気ない声になってしまう。
「待って。もう少し」
先に立って行こうとした篠宮を、結城が腕をつかんで引き留める。次の瞬間、頰にくちびるの暖かさを感じた。
「結婚式の時は……」
顔を離して優しく微笑むと、結城は篠宮のくちびるを愛おしそうに指先で撫でた。
「本当の結婚式の時は、ここにキスするからね」
そう言うと結城は、まるで姫君に対するかのように恭 しく篠宮の手を取って、もと来た道を歩き始めた。
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