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美しい瞬間

「あの時……ガラスのドアを抜けて、四阿のそばに立っている篠宮さんを見たあの時。花に囲まれて、胸に白いハンカチを飾って、生きて呼吸している篠宮さんを、俺のここだけにしまっておきたいと思った。他の誰にも見せたくない……俺だけのものにしたいって」  ここだけに。そう呟いて、結城は自らの胸に手を当てた。  あの一瞬の間に、結城はそんなことを考えていたのか。それを知って篠宮は、胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。たとえ写真を撮るためであっても、恋人の晴れ姿を他の人に見せたくない。咄嗟に撮影を(ことわ)ってしまうほど、それほどまでに彼は自分のことを大切に想ってくれているのだ。 「私は、別に……優しくなんてない」  やんわりと、篠宮は結城の言葉を否定した。自分が写真を撮りたいと思った理由は、優しさでも、彼女の心遣いに対する配慮でもない。もっと利己的な理由だ。  黒い婚礼衣装を着た結城の姿が、脳裏に鮮やかに(よみがえ)る。青々と繁った若葉。咲き乱れる花々。大きな鳥籠のような、蔦の絡まった四阿。髪型を変え礼装をまとった彼を見て、あのとき自分は、息を飲むほど誇らしく感じた。  一枚くらい撮ってもらえばよかった。そう思った理由は、ただひとつだ。断じて優しさなどではない。周りの人への義理でもない。自分はただ、あの美しい瞬間を切り取って、手許に留めておきたかっただけなのだ。それこそ自分の……自分だけの手許に。 「……君もなかなか似合っていたぞ」  胸に生まれる甘い疼きを押し隠し、篠宮は小声で呟いた。 「そう?」  結城の口許に笑みが浮かぶ。  真っ直ぐな瞳で見つめられ、篠宮は心臓が跳ね上がるのを感じた。恥じらいや慎みなどすべて忘れ、いま胸の中にある感情を、包み隠さず打ち明けてしまいたくなる。そうできないのは、いつかこの関係が終わりを告げるかもしれないという、漠然とした不安がどこかに存在するからだった。 「篠宮さんの隣に並んでもおかしくないくらい、似合ってた?」 「私のほうが見劣りしていたと思う」 「篠宮さんが見劣りするわけないじゃん。もしそうだとしたら俺、神様か何かだよ」  結城が照れたように眼を細める。くちびるがそっと近づいた。 「……愛してる」  飾らない、それ故に胸を打つ愛の言葉が彼の口からこぼれ落ちる。自信に満ちた声の中には恐れなど欠片(かけら)もなく、その揺るぎない眼差しに篠宮は少しだけ安堵の気持ちを覚えた。 「ね。もし今、誰かが天から俺たちのこと見てるとしたら。間違いなく、ラブラブすぎて胸焼けしてると思わない?」  小さく笑い声を上げ、結城がもう一度くちびるにキスをする。長くしなやかな指が、篠宮の髪を優しく撫でた。 「君があまりに私のことを過大評価しているのを見て、呆れているかもしれないな」 「篠宮さんだって、けっこう俺のこと過大評価してると思うけどな……俺がタキシード着ていったら、眼の中にハート浮かべて『かっこいー!』って顔で見てたもん」 「そんな顔……してない」  隠しきれていなかったのかと自らを責めながら、篠宮は結城から眼をそむけた。 「まだそんな意地張ってるの? 二人きりなんだから、もっと素直になってよ。ね……俺のこと、好きって言って」  甘えるように呟いて、結城が期待に満ちた眼で篠宮を見上げる。篠宮の一番の弱点をくすぐる、従順な子犬のような瞳だ。 「それは、その……前に言っただろう」 「いま聞きたいんだよ。ね、言って。篠宮さんは俺のこと、どう思ってる?」  優しい笑みと共に、結城が執拗に愛の言葉をねだる。言わなくても分かるだろうという思いと、彼の望む台詞(せりふ)を口にしたいという思いが、激しい葛藤となって篠宮の胸に渦巻いた。

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