161 / 396
内緒話
結城は、酒はそこそこに飲めるほうだが、並外れて強くはない。口当たりの良いカクテルを二杯ほど飲ませた後に、ウイスキーのロックを勧めると、すぐにほんのりと頰が紅くなった。
「いいお店ですねー。篠宮さんのほうから誘ってもらえるなんて、夢みたいです」
感嘆の声をあげ、結城が改めて店内を見回した。年季の入ったマホガニーのカウンターと、その向こうに並んだウイスキーのボトル。色あせた昔の洋画のポスターに、おそらく単なる飾りかと思われるジュークボックス。マスターが長い年月をかけて集めたであろう骨董品の数々が、古き良き時代を偲ばせる。
店内には、会話の邪魔にならない程度の音量でジャズが流れている。少し混んではいたが、近くには誰も座っていない。
篠宮は軽く息を吸った。バーのカウンターは内緒話に向いている。お互いの距離が近いので、自然と小声になるのだ。切り出すなら今しかない。
「そういえば、来週の私の予定だが……急に出張が入って、栃木に行くことになった。まあ出張といってもたかが一泊だが、君にはその間、しっかり留守番をお願いしたい」
早口にならないよう、意識してゆっくりと話しながら結城のほうを見る。思ったとおり、彼は不満そうに口を尖らせた。
「ええー? 俺は一緒に行けないの?」
「遊びに行くんじゃないんだ。仕事だぞ。二人でどこかへ行きたいというのなら、プライベートでいくらでも行けるじゃないか」
いくらでも、という一語を篠宮はそれとなく強調した。もちろん、今のうちに恋人の機嫌をとっておくためだ。いつでも行けると含みを持たせたことが功を奏したのか、結城は渋々といった調子ながらもとりあえず引き下がった。
「まあ仕事だから仕方ないけど……ずいぶん急なんですね」
「ああ。観光地のホテルでうちの商品を主流に使ってもらおうということで、元は販売促進部のほうで進めていた仕事だったんだ。簡単な商品の紹介だけのつもりだったようだが、企画が進むうちに、プレゼンだ受注だとだんだん話が大きくなってきたらしい。ここは営業に任せたほうが良いということで、こっちへお鉢が回ってきたんだ」
「へえ……でもいくら篠宮さんでも、一人でなんて大変じゃないですか?」
結城が心配そうに篠宮の顔を覗きこむ。覚悟を決め、篠宮はぐっと腹の奥に力を込めた。言いたくないが、言わないわけにもいかない。ここが正念場だ。
「一人でというわけではない。牧村係長補佐と二人だ」
「え。二人」
結城が顔を強張 らせた。
「まっ、まさか同じ部屋じゃないでしょうね?」
「いや……同じ部屋だ」
「どええええっ!」
驚きのあまり素っ頓狂な声を出し、結城は止まり木からずり落ちた。
ともだちにシェアしよう!