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世渡り上手
「お祭りで焼きそば食べるなら、ビールもあったほうがいいよね。篠宮さんも飲むでしょ? そこで買ってくるから、ちょっと待っててよ」
唐突にそう言いだし、結城がからからと下駄を鳴らして走っていく。
あの調子ではすぐに着崩れしそうだと思いながら、篠宮は道の端に寄って買い物が終わるのを待った。今日は比較的涼しかったとはいえ、七月の半ばともなれば夏の盛 りだ。別にビールに限らないが、何か冷たい飲み物はあったほうがいい。
「お待たせー」
透明なプラスチックのコップを両手に持ち、結城が機嫌の良さそうな顔で戻ってくる。中にはきめ細かな泡をたたえたビールが溢れんばかりに入っていた。
「……ん?」
同じ店でビールを買っていく人を何気なく見て、篠宮はふと疑問を感じた。他の客のコップにはどう見ても七分目か八分目くらいまでしか入っていないのに、結城の持ったコップは二つともなみなみと注いである。
「この二つだけ、妙に量が多いな」
自分のぶんのビールを受け取りながら、篠宮は率直に思ったことを述べた。
「ああ、これ?」
篠宮の疑問を耳にして、結城は意味ありげに口の端を上げてみせた。
「店番してるのが、若いお姉さんだったんだよねー。もうひとつは彼女のぶんですかって訊かれたから、会社の上司のぶんですって答えたら、いっぱい入れてくれた」
そう言われて、篠宮は飲み物を売る屋台にもういちど眼を向けた。頭に祭りの鉢巻を巻いてビールを注いでいるのは、たしかに二十代なかばと思われる若い女性だ。
中年の女性には、素直に愛嬌を見せて焼きそばを増量してもらい、若い女性には彼女など居ないと匂わせてビールを多く注いでもらう。相手によって態度を変えるとはなかなかの策士だ。小賢しいとも言えるが、世渡り上手という点では尊敬に値する。
「あ、ちょっとヤキモチ焼いてる? 大丈夫だよ、俺は篠宮さん一筋だから」
「馬鹿。妬いてなんていない」
「俺はいいけど、篠宮さんは店番の人に笑顔見せちゃ駄目だよ? そんな顔見せたら、本気で惚れられて大変なことになっちゃうからね?」
「君は本当に人の話を聞いていないな……」
「えへへ」
篠宮の呆れた声を聞きつつ、結城が悪びれもせず頰を緩める。その愛嬌のある笑顔を見て、篠宮は店番の女性たちの心情を理解した。こんな顔で微笑まれたら、ちょっとばかりサービスしたくなるのも無理はない。
「せっかくだから、冷めないうちに食べようよ」
「食べると言っても、どこで……」
篠宮は周囲を見回した。近くに座って食べられそうな所はない。
「そこでいいんじゃない?」
結城が、屋台の隙間から見える駐車場を指差す。周りは腰辺りの高さのブロック塀で囲まれていて、たしかに簡易的なテーブルにはなりそうだ。
篠宮の背を押すようにして駐車場まで行くと、結城は物慣れた様子でひょいと塀の上にコップを置いた。レジ袋から焼きそばのパックを取り出し、期待に満ちた表情で蓋を開ける。
「いただきまーす……うん、美味しい」
湯気の立つ焼きそばを実に美味 そうに頬張り、結城はビールを一気に半分ほどまで喉に流しこんだ。ビールのコマーシャルに出られそうな飲みっぷりだ。
「篠宮さんも、はい。あーん」
味見を済ませて一息つくと、結城は当然といった顔で篠宮の口許に箸を近づけた。
「やめないか……こんな人目のある所で」
「いいじゃん。ね、最初の一口だけ!」
例によって強引に押し切られ、篠宮は仕方なく口を開いた。キャベツと豚肉がたっぷり入っていて、火の通し加減も丁度良い。
「ね、美味しいでしょ?」
「君が作ってくれた焼きそばの次に美味しい」
「そう? 良かったー。こっちのほうが美味しいって言われたら、俺、あのおばちゃんに弟子入りしなきゃいけないところだった」
他愛もない会話をしながら飲むビールは美味で、縁ぎりぎりまで注がれたコップはすぐに空 になった。
「はは。これ一つで、けっこうお腹いっぱいになったね」
少し歩こうか。山盛りの焼きそばをぺろりと食べきると、結城はそう言って篠宮を促した。
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