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ラムネの瓶

 あれはいつの事だっただろうか。  たしか、中学三年の時だったと思う。塾での勉強を済ませた自分は、祭りから帰るところだと思われる家族連れと、偶然同じ道をたどることになった。 『えへへー。じゃがいも、おいしかったー!』  幼い子供の甲高い声が響き、篠宮は眉をしかめながらそちらに眼を向けた。 おそらく三、四歳かと思われる男の子が、母親と手をつないで歩いている。反対側には、少々腹は出ているものの、優しそうな面差しの父親が我が子を守るように寄り添っていた。 『そうね。また来年も行きたいわね』 『うん!』  元気な返事が聞こえる。  男の子は、飲み終わったラムネの瓶を片手に持っていたようだ。中のビー玉を取ろうと思ったのか、その子は瓶を逆さにして、盛んにからからと鳴らし始めた。 『もう、やめなさい。うるさいでしょ。それに、瓶が割れて怪我をするわよ』  母親がすかさずたしなめる。男の子はすぐに瓶を振るのをやめたが、代わりに甘えるような声でこう言った。 『ねえママー。これ取ってよ』 『え? ええと……ねえ。これって、取れる物なのかしら』  子供から瓶を受け取った母親は、すっかり困り果てた様子で、そばを歩く夫に助けを求めた。無理もない。ビー玉の大きさと細い飲み口を見較べたら、容易に取れないであろうことは想像がつく。 『そうだなあ……キャップを外せば取れるんじゃないか』 『でもこの栓、すごく固いのよ。手じゃ外れそうにないわ。割らないと駄目かしら?』 『いや、割らなくても大丈夫とは思うけど……どうだろうなあ』 『ねえー。なんで取れないの? 取ってよぉ』  体当たりをするようにわざと父親に肩をぶつけながら、男の子が我がままを言う。その甘ったれた声が、とてつもなく篠宮の(かん)に障った。 『分かった分かった。家に帰ったら、お父さんが取ってやるよ。栓抜きかなんかでこじ開ければ、なんとかなるだろう』  仕方ないなというように、父親がぽんぽんと子供の頭を撫でる。よほど嬉しかったのか、男の子は文字通り飛び上がって喜んだ。 『ほんと? わーい! お父さんだいすき!』  無邪気な声を出して、男の子が父親に抱きつく。 『おいおい、ひっつくな。歩けないだろ』 『家にかえったら取ってね! やくそくだよ!』 『ああ、約束するよ。帰ったら、ちゃんとお風呂に入って歯を磨くんだぞ。その間に取っておいてやるから』 『はーい!』  浮かれてはしゃぎ回る子供の足取りを、危なっかしいと感じたのだろうか。父親は片腕でひょいと子供を抱き上げ、妻の隣に並んで歩き始めた。  それ以上彼らの会話を聞くことに耐えられず、篠宮は次の角を曲がってわざと遠回りの道を選んだ。

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