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野原と丘と森

「あー、よく寝たー!」  九時間四十分の長いフライトを終え、空港に降り立つと、結城は両腕を大きく上げて背筋を伸ばした。 「あの狭い座席で、よくあんなに寝られるな……」  呆れつつも感心する思いで、篠宮は彼を横目で見据えた。 「どうしよう。お腹すいたよ」 「そりゃそうだろう。何も食べていないんだから」  飛行機が出発したのは、日本時間で土曜の夕刻のことだ。結城は席に座るなり心地よさそうに寝息を立て始め、そのせいで機内食をすべて逃している。ちなみに篠宮のほうは、初めてプライベートで旅行するという緊張感も手伝って、一睡もできなかった。空腹は感じないが、機内で疲れたこともあり、気を失いそうなほどに眠い。  午後の明るい陽射しの下で、篠宮は腕時計を見た。日本では今、夜中の三時頃のはずだ。それがここでは前日の昼過ぎなのだから、体内時計がおかしくなるのも無理はない。 「とりあえず、食べるもの少し買っていこうか。レンタカー手配してあるから、それに乗ってコテージまで行こ? 俺が運転していくからさ。篠宮さんはゆっくり寝てていいよ」 「ああ……頼む」  いつものように意地を張る気力もなく、篠宮はこの時ばかりは素直に恋人に甘えることにした。  温かく大きな手が、さらさらと優しく髪を撫でるのを感じた。  続いて何か柔らかいものが、そっとくちびるに触れる。ああ、結城のくちびるの感触だ。そう思った。 「ん……」  小さく呻き、篠宮は眼を開けた。思ったとおり結城が、静かに笑みを浮かべながら自分の顔を覗きこんでいる。 「お目覚めですか、眠り姫」  篠宮の身体を抱きかかえるようにして座席を起こし、結城はシートベルトを外して甲斐甲斐しく衣服を整えた。 「四時間くらい寝てたかな。少しは疲れ取れた? 着いたらすぐ起こそうと思ったんだけどさ。篠宮さんの寝顔が可愛くって、なかなか起こせなかった」  からかうように結城が微笑む。視線を上げ、篠宮は車の窓から周りを見渡した。  寝ている間に、辺りの景色は一変していた。空港を出た所では大きな建物も立ち並び、普通の街並みだったが、ここには何もない。すぐそばにログハウス風の洒落たコテージが建っている以外は、見渡す限り野原と丘と森のような樹々だけだ。  直通で向かえる電車もバスもなく、空港から車で四時間以上。たしかにこれでは、買い手がつかないのも致し方ない。  結城が、少し離れたところにある小高い丘を指差した。 「そこの丘を越えたとこに、管理人さんたちが住んでるんだ。俺、今から挨拶に行ってくるからさ。篠宮さんはどうする? まだ眠いなら、部屋で横になっててもいいよ」 「いや……そういう訳にはいかない。泊まらせていただくのだから、私も挨拶に伺うべきだろう」  篠宮が真面目くさって言い放つと、結城はその顔を見てくすりと笑った。

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