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俺の大事な人
『カナト! 久しぶりね。元気だった?』
『見てのとおりだよ。リンダも元気そうだね』
『おかげさまでね。最近は注文も増えてきて忙しいの。もうちょっと仕事を減らしたほうがいいか、考えてるところよ』
彼女はそう言って額の汗を拭った。手の甲の煤が生え際に付き、余計に顔が汚れる。
不意に何かを探すように、結城がきょろきょろと辺りを見回した。
『あれ。アンジーは? いつも影みたいに、リンダのそばにぴったりくっついてるのに』
『パリまで資材の買い付けに行ってるの。今日帰ってくる予定よ。もう一週間も逢ってないから、寂しくて死にそうだわ』
『……なんだ。てっきり別れたのかと思ったよ』
結城がからかうような笑みを見せると、彼女は肩をそびやかして同じように笑った。
『なに言ってるの、そんなわけないでしょ。私とアンジーは一心同体よ。別れるなんて、不可能だわ』
詳しい話は聞かされていなかったが、篠宮は今の二人のやり取りから、素早く言葉の端々をつなぎ合わせて推理した。どうやらこの女性はリンダという名で、アンジーというのは彼女の夫の名前らしい。そういえば結城が『元の建物は今は工房になってる』と言っていた。おそらく夫婦で、焼き物か何かをして生計を立てているのだろう。
『それよりカナト。そちらのお連れのかたを早く紹介してくれないかしら。黒髪がとても綺麗なかたね』
彼女が紹介を促すと、結城はたちまちのうちにでれでれと相好を崩した。
『へへへ。でしょう? ミスター・シノミヤ。俺の大事な人だよ。こんど結婚するんだ』
「なっ……!」
抱きつくようにしていきなり腕を組まれ、篠宮は驚きのあまり振り払うこともできず呆然とした。自分はどう見ても男だ。結城が『俺の大事な人』と言うに相応 しいような、華奢で可愛らしい女性ではない。
冗談にしては質 が悪いだろうと思ったが、意外にも彼女の返事は、篠宮の予想とはかけ離れたものだった。
『あら、そうなの? いいわねえ。どうぞお幸せにね』
当たり前のようにそう言ったかと思うと、彼女は意味ありげな微笑を浮かべて結城のほうを見た。
『ついにカナトも、結婚を考えるような人にめぐり逢ったのね。そう思うと感慨深いわ。いつからお付き合いしているの?』
『えへへー。去年の十一月からだよ』
にこにこと機嫌よく答える結城の言葉を聞いて、彼女が目を丸くした。
『すごい! 他の人なんか足元にも及ばないくらいの新記録じゃないの。あなたときたらいつも、恋人なんて取っ替え引っ換えの使い捨てで、せいぜい続いても一週間……』
『うわっちょっと待ってリンダ! 篠宮さんの前で変なこと言わないでよ! 篠宮さん、英語めっちゃ流暢なんだから!』
『えっ、そうだったの? やだ、それを早く言ってよ』
驚いて声をあげた彼女が、慌てて表情を取り繕いながら篠宮のほうを向く。微妙な空気になるのを避けるため、篠宮は早々に自分から口を開いた。
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