214 / 396

過ぎたこと

『黙って聞いていて申し訳ありません。仕事柄、英語を使う機会が多くありますので、意思の疎通に支障ない程度には話すことができます』  自分の知らない結城の過去にショックを受けながらも、篠宮はどうにか自らを誤魔化して冷静を装った。  結城が、自分と出逢う前は複数の恋人と関係をもっていた。なんとなく分かってはいた事だが、他人の口からこうもはっきり言われると、やはり割り切れない思いが残る。  動揺を押し殺し、篠宮はひとつ深呼吸をした。浮気をされたわけではないのだから、こんな些細な事で傷つくのは間違っている。過ぎたことは、過ぎたことだ。そう自分に言い聞かせることで、次第に気持ちが落ち着いてくる。 『あ、あの……ごめんなさい。たとえ言葉が解らなかったとしても、眼の前であんなことを言うなんて、無神経だったわ』 『いえ、いいんです。誹謗中傷ではなく、事実なんですから』 「違うんだよ篠宮さん。あれは別に、付き合ってるとかじゃ」 「結城。君は黙っていてくれ」  身を乗り出してくる結城を、篠宮は手のひらで制した。嫉妬に痛む胸を抑え、強いて虚勢を張ってみせる。 『別に嫉妬なんてしていません。そんな大昔のことを気にしても、無意味ですから』 『……そうね』  探るような眼で、彼女は篠宮を見上げた。この話題をいつまでも引きずっても、お互いにとって益はない。そんな思いが見え隠れする。 『ミスター・シノミヤ。たしかにカナトは学生時代、何人もの女の子と付き合ってたわ。でもカナトが本当に好きになったのは、間違いなくあなただけよ。今のカナトの慌てぶりを見たら、それがよく判ったわ』  そこまで言うと、彼女は重苦しい雰囲気を一度に吹き飛ばすような、悪戯っぽい笑みを見せた。 『ねえカナト。ミスター・シノミヤの発音、とても美しいわね。セクシーだわ。それに、目許がとてもミステリアス。カナトが夢中になるのも解るわね。この私でさえ、ちょっと好きになっちゃいそうだもの』  明らかに冗談といった口調であるにもかかわらず、彼女の言葉を聞いて結城が血相を変える。 『駄目だめ! 篠宮さんは俺のなんだから』 『あら。ちょっと褒めただけで、こんなに目くじら立てるなんて……本当に本気みたいね。ね、カナト。こんな素敵な、心から深く想える人に出逢えたんだもの。泣かせたりしないで、ちゃんと大事にするのよ』 『もちろんだよ!』  間髪を置かず篠宮の腰を抱き寄せ、結城は甘えるように肩にもたれかかった。

ともだちにシェアしよう!