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品よく慎ましく
結婚何年目か知らないが、実に睦まじいことだ。もしすべての結婚がこんなにうまくいくようになったら、離婚調停を生業 とする弁護士たちは、たちまちのうちに干上がってしまうに違いない。
「もう結婚して十年以上経つのに、本当に仲の良い夫婦だなぁ。ねえ篠宮さん、俺たちも負けてられないよね!」
能天気な声を出し、結城が篠宮の首筋に頰をすり寄せる。慎み深く身を引き、篠宮は小さく呟いた。
「結城……」
「ん? 何?」
「言ってしまったことは仕方ないが……私たちは男同士なんだぞ。せめて友人とか同僚とか、もう少し当たり障りのない紹介の仕方はできなかったのか。彼女が理解のある人だから良かったようなものの……」
篠宮が恨み言を言うと、結城は片眉を上げて意味ありげな笑みを見せた。
「まあ理解というかなんというか……あの人にとっては、特別なことでもなんでもないからね。あ。その彼女が心待ちにしてる、愛する旦那さんが帰ってきたみたいだよ」
そう言って、結城は彼方を指差した。
白っぽい軽トラックが、樹々の間を縫うようにして走ってくるのが見える。大きな木箱や段ボールを山と積んだその車は、軽快に砂利を蹴散らしながら家のすぐ前で停まった。
『アンジー!』
待ちかねたように名を呼び、リンダが駆け寄っていく。太陽の光が車の窓に反射し、篠宮は眩しさに思わず眼を細めた。
「あ……」
再び車のほうを見た篠宮は、額に手をかざしたまま呆然とした呟きを洩らした。車から降りてきた人物が、予想とはまるで違っていたからだ。
トラックから降りてきたのは、すらりとした細身の女性だった。
栗色の髪を後頭部で美しくまとめ上げ、袖のふくらんだ白いブラウスを着ている。ウエストの締まったベストに、裾が大きく広がったロングスカート。そして革のブーツ。中世の貴婦人が着る乗馬服のような装いだ。
『もうリンダ! あなたまた、そんな小汚い格好で!』
車に乗っていた人物は、地面に降り立つなり、鍛冶屋の見習い小僧のようなリンダの出で立ちを無遠慮に見回した。
『仕方ないじゃない。ずっと窯の様子見てたんだもの。作業するにはこの格好が一番なのよ』
リンダが悪びれずに言い返す。
『だからって……顔くらい拭きなさいよ。鍛冶屋の見習い小僧みたいだわ』
奇しくも篠宮と同じ感想を口にして、アンジーと呼ばれた女性は品良く微笑んだ。
『いいのよ、どうせまた汚れるんだから。それより、帰ってきたら、まず最初に言うことがあるでしょ?』
『そうね……ただいま、リンダ』
『ええ。お帰り、アンジー』
お互いに軽く眼を見交わすと、二人は白いブラウスに煤が付くのも構わず、抱き合って熱いキスを交わした。
「相変わらず仲良いなあ」
隣で結城がぼそりと呟く。篠宮はたまらず眼をそらした。いくら仲睦まじいのが良いことだとはいっても、他人の熱烈な抱擁シーンを直視するのは躊躇 われる。なぜ彼女が、同性同士の関係にあんなにも理解があったのか、今この時になってようやく合点がいった。
「……まあ、そういう訳だからさ。別に男同士だからって引け目に感じたり、変に気を遣う必要はないよ。ね、篠宮さん。俺たちも負けずに、ラブラブなとこ見せつけてやろ?」
「馬鹿、やめろ」
どさくさに紛れて腰を抱き寄せようとする結城を、篠宮は冷たく押し戻した。
「ちぇー、けち。チュウくらいさせてくれてもいいじゃん」
「そういう問題じゃない。素直に愛情を表現するのが悪いことだとは言わないが、それはそういった文化という、きちんとした地盤があるからこそ成立するものだ。私があんな真似をしても滑稽なだけだぞ。いい歳をした男が、人前で抱き合うなんてはしたないだろう」
篠宮が真面目くさった顔で突き放すと、結城は何を思ったか声を出して笑った。
「今時『はしたない』って……あはは。ほんと、いつまで経ってもそういうとこは変わらないよね。ま、それが俺の大好きな篠宮さんなんだけど」
幸せそうに口許を緩め、結城は篠宮の指先を軽く撫でた。結城の薬指にはまった指輪が、右の手の甲に硬質な感触を伝えてくる。
「じゃあ篠宮さんのご要望どおり、品良く慎ましく、目立たないように……これくらいなら、いい?」
遠慮がちに小声で呟き、結城は篠宮の小指をそっと搦め取った。指切りをするように小指同士を絡ませるのが、最近の結城の癖らしい。
「まあ……このくらいなら」
仕方なく承諾し、篠宮は結城に小指を預けたまま、庭先に視線を動かした。
リンダたちはすでに抱擁を解き、笑顔で何やら話し合っている。自らの手元に眼を向け、篠宮は顔を赤らめた。よくよく考えると、こちらのほうが恥ずかしい気がする。
「篠宮さん」
「なんだ?」
「大好きだよ」
「ばっ、馬鹿……!」
羞恥に耐えきれなくなり、篠宮は繋いだ指先を慌てて振りほどいた。
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