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ピクニックにシャンパン
「……なんの音だろうな」
「馬の足音っぽくない? こっちに近づいてるみたい」
「馬……?」
何を馬鹿なことをと一瞬思ってから、篠宮は再び外の音に耳を傾けた。自分たちは今、普段の生活とはかけ離れた場所に来ているのだ。車の代わりに馬の足音が聞こえてもおかしくはない。そうこうしている間にも足音らしきものはどんどん近づき、篠宮たちのいるコテージのすぐ前あたりで止まった。
「あれ? アンジーじゃん。なんだろ」
ひょいと首を伸ばして、結城が窓の外を確認する。ドアを開けると、見事な栗毛の馬にまたがったアンジーが、手綱を握りながら庭先に佇んでいるのが見えた。
『おはようカナト。よく眠れた?』
結城が顔を出すと、アンジーは馬から降りて挨拶をした。相変わらず髪を美しく結い上げ、淡いベージュの上着には一点の染みもない。灰と煤だらけのシャツを着ていたリンダとは違って、綺麗好きな性格らしい。
『まあね。それよりどうしたの、こんな朝っぱらから』
『大した用事じゃないけど、天気もいいし、朝駆けのついでに来てみたのよ。二人とも、今日はピクニックに行くんでしょ? だったら、これがあったほうがいいんじゃないかと思って』
そう言って、彼女はバッグの中から一本の瓶を取り出した。そのラベルに書かれた文字を見て、結城が眼を輝かせる。
『うわっ、シャンパンだ! やったね篠宮さん、ピクニックにシャンパンなんて最高じゃない? ……あ。でもなあ。冷えてないのはちょっと……』
『大丈夫よ。カナト、向こうに川があるの知ってるでしょ。日陰のとこにしばらく浸けておけば、そこそこ冷たくなるわ』
『それもそっか。じゃ、遠慮なく飲ませてもらおうかな。ありがとうアンジー』
『お礼なんていいわよ。カナトの家族には、いつも本当にお世話になってるもの。それより、もうひとつ用事があるの。今夜の食事のことなんだけど、ビーフシチューとクリームシチューのどっちがいい? 私はクリームシチューが好きなんだけど、リンダがどうしても赤ワインで煮込んだシチューがいいって、譲らないのよ。ここはカナトたちに決めてもらうのが良いかと思って、訊きに来たの』
『えー、どっちも美味しいよね。迷うなあ。篠宮さんはどっちがいい?』
結城が部屋の中を振り返って声をかける。答えを求められた篠宮は、仕方なく椅子から立ち上がった。女性を庭先に立たせたまま、自分だけが座って話すわけにもいかない。
「そうだな……私はどちらかというと、クリームシチューのほうが」
『じゃあクリームシチューで決定! アンジー、よろしくね』
『オッケー。今夜はとびっきり美味しいクリームシチューをご馳走するわよ。夕方の六時くらいにはできると思うから、食べに来てね』
品良く微笑み、彼女が結城の肩越しに、篠宮にも視線を向ける。とりあえず礼を言わねばと思った篠宮は、結城の後ろに立ったまま頭を下げた。
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