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小川を渡る風
「あー、久しぶりにいっぱい歩いた! いい運動になったね」
散歩を終え、最初に荷物を置いた地点まで戻ると、結城は腕を伸ばしながら篠宮に向かって笑いかけた。
「そうだな。空気もいいし……都会では、なかなかこうはいかない」
ひたいに薄く汗をにじませ、篠宮は大きく肩で息をついた。小川を渡る風は涼しく、せせらぎの音が何よりも疲れを癒す音楽となって心地よく耳に響く。
「大丈夫、篠宮さん? 疲れてない?」
「馬鹿にするな。こう見えても、体力はあるほうなんだ」
からかうような結城の言葉を聞き、篠宮は微かに眉を寄せて言い返した。色白のせいか柔弱に見られがちだが、物心ついた頃から、病気で寝込んだことなどほとんど無い。学生時代も、同級生たちが次々と音をあげる中、長距離走を最後まで走り抜いた。
「たしかに篠宮さん、風邪ひいたり熱出したりしないもんね。俺としては、たまに熱くらい出してほしいんだけど。もう、めちゃめちゃ気合い入れて看病するよ! ドSで言葉責めが得意なイケメンドクターと、優しく手ほどきしてくれる看護師さんバージョン、どっちがいい?」
「なんの話だ……?」
「だからぁ。お医者さんの俺に焦らされて苛められるのと、看護師さんの俺に手取り足取り身体で教えてもらうのと、どっちがいい?」
「……全国の医療従事者に謝れ」
看病にかこつけてまた遊ぶつもりなのかと呆れ、篠宮は、たとえ熱が出ても結城には絶対に言うまいと固く心に誓った。
「えへへー。ごめんなさい」
結城がまったく誠意のこもらない口調で詫びる。今もこの世のどこかで、人の命を救おうと死力を尽くしている医師たちを思い、篠宮は心の中で恋人の代わりに頭を下げておいた。
「歩いたらお腹すいたね。ね、もうお弁当にしようよ。俺のお勧め、二種類のマスタード入りローストビーフサンド! シャンパンと一緒に食べたら最高だよ。ね、篠宮さん。お弁当出してもらってもいい? 俺、飲み物用意するから」
一方的に指示を出し、結城がさっさと川沿いにシャンパンを取りに行く。溜め息と共にその背中を見てから、篠宮は荷物の中にあった、大判のハンカチで包まれた弁当を取り出した。
ハンカチを解いて紙箱の蓋を開けると、色とりどりの具を挟んだサンドイッチが姿を現す。ハムにチーズに胡瓜に卵、デザート用にジャムやマーマレードを挟んだパンが整然と並び、見た目にも美しい。
これを作った結城が自慢げな顔をするのも納得できた。文句なしに美味しそうだ。中でも二種のマスタード入りだと言っていたサンドイッチは、ローストビーフとレタスがこれでもかというほどに入っていて、見るからに食欲をそそる。
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