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キスの数を数えて
「まあ環境が変わったんだから仕方ないよね。俺だって、嬉しいことがいっぱいすぎてちょっと興奮してるもん。どう? 俺と一緒に羊でも数える?」
甘い声で囁き、結城が指先で篠宮の前髪を梳く。羊を数えると聞いて、篠宮は昔なにかで見た雑学を思い出した。
「羊なんて日本人には馴染みがないから、イメージするのに時間がかかって、かえって逆効果らしいぞ」
「馴染みのあるもののほうがいいんだ? じゃあ……」
少しのあいだ考えこんだかと思うと、結城はいきなり声をあげてこう口にした。
「それじゃあ篠宮さん。俺がキスするから、篠宮さんは羊の代わりにキスの数を数えてよ。篠宮さんにとっては、すっごく馴染みのあるものでしょ。もちろん、俺にとっても」
「何を言ってるんだ……そんな恥ずかしい真似が出来るわけないだろう」
それに、ベッドに寝転んだ状態でキスなんてされたら、余計に眠れなくなってしまう。結城に聞かれたらさらに悪戯心を煽りそうな台詞を、篠宮は心の中でそっと付け加えた。
「いいじゃん。頬っぺたに、ちょっとチュッてするだけ。ね? 減るもんじゃないんだから、キスぐらいさせてよ。この旅行は、俺への誕生日プレゼントなんだよ。忘れちゃったの?」
「仕方ない奴だな……」
諦めて、篠宮は肩の力を抜いた。逆らってみたところで、どうせ最後には結城の言うことをきく羽目になるのだ。だとしたら、ここで形ばかりの抵抗をしてみせても意味はない。単に時間の無駄である。
「えへへー。篠宮さん大好きー」
頰を緩めて締まらない笑みを浮かべ、結城はキスしやすいように篠宮の頭を抱き寄せた。
「じゃ、今から頬っぺにキスするからね。声は出さなくていいよ。心の中で数えて」
そう告げられた次の瞬間、頰に軽くくちびるが押し当てられる。言われたとおり一 、と篠宮は胸の奥で呟いた。
リップクリームか何かで手入れしているらしい、適度に潤った唇がきっかり一秒で離れる。すぐに二度目のキスが襲ってきた。
二、と心の中で数える。触れたくちびるが、頰をゆっくりと温めていった。風呂から上がってすぐに布団に入ったつもりだが、頰だけは知らず知らずのうちに冷えていたらしい。
三度目のキスで、篠宮は眼を閉じた。身体の中で凝り固まっていた疲れが、少しずつ解けていくのが判る。意外にも安眠できそうな感じだ。
四度目のキスが頰に落ちる。ゆらゆらと揺れる小舟に乗ったような心地で、篠宮は四、と数えた。
次は五だ。そう思って口接けを待っていた篠宮は、数秒の後、内心で首を傾げながら眼を開けた。結城がなぜか、くちびるを押し当てたまま動かない。
眠ってしまったのか。そんな考えと共に横目で隣を確認すると、結城は夢見心地な顔をしながらもまだ起きていた。
「なんだ……もう終わりか? さては、君のほうが先に眠くなったんだろう」
「ううん」
からかい半分に声をかけると、結城は曖昧な返事をしながら篠宮に頰をすり寄せた。
「やっぱりさ。篠宮さんへのキスは、数えるものじゃないよね。だって一回キスしたら、また離れなきゃいけないじゃん。そうしないと、カウントできないでしょ」
「それはまあ……そうだろうな。離れなければ、ずっと一回のままだ」
篠宮が眼を伏せて答える。その身体を守るように両手で抱き締め、結城はくちびるを寄せたまま呟いた。
「こうして篠宮さんにくっついてると、気持ちいい。ずっとこうしていたい……離れたくない」
離れたくない。同じ想いが温かく胸を満たしていくのを感じ、篠宮は再び眼を閉じた。
自分を抱き締める結城の腕の上に、さらにそっと手を添える。彼と出逢わなければ、自分の一生は実に無味乾燥な、つまらないものになっていただろう。彼と出逢う前、自分はどう生きてきたのか。それすら思い出せないほどに、今の人生は鮮やかな彩りと、新鮮な喜びに満ち溢れていた。
窓辺の星がしゃらしゃらと鳴ったような気がしたのは、すでに夢の中にいたからなのかもしれない。恋人の温かな鼓動をすぐそばに感じながら、篠宮はいつのまにか眠りについていた。
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